目に見えない大いなるもの

2010年04月21日(水) 09:00

 私たちには無数の欲望がある。とても煩悩を離脱して悟りを得ることは不可能だ。自分であって自分でないことばかり。こんな状況だから、この心だって自分の思い通りに動いているとは言い難い。あらぬ方向にどんどん進んで行ってしまう。いい例がそこにある。そう、日々の競馬だ。

 よく、絵に描いた餅と言うが、煩悩はまずそこに取り込まれていく。いくら抵抗してもどう仕様もない。その道に迷い込んだら救われないのだ。そこで機転を利かせられたら、何とかなることもあると、ベテランなら知っている。決して、これだけと、ひとつことに拘らない。その、抜け出る道のひとつに“げんかつぎ”がある。

 このげんは、縁起の逆語なのだが、因縁によって万物が生ずるという考えから生まれた「因縁生起」という言葉を略したのが、この縁起だと、昔なにかで読んだことがあった。

 その時、なにかに因縁らしきものが頭をよぎったらしめたもの。この縁起が、事物や寺社の起源や伝説などを意味するものでもあるから、吉凶の前兆らしきものもあるだろう。
それをキャッチして、結果として欲望を満たすことができた、こういう幸運が競馬を楽しくしてくれる。

 最初から絵に描いた餅を追い求めるのではなく、しばし煩悩を鎮めることからスタートさせる。そう、頼りになるのは、目に見えない「大いなるもの」と、自然にそういう思いになれたら、次に、なにかが浮かんでくるものだ。もし、そうなれなかったら、無心になれることをするのがいい。パドックで周回する馬たちをひたすら見るのも、そのひとつ。馬の方からこっちにサインを送ってくることがあるのだ。無数の欲望はあって当たり前、ただ目に見えない「大いなるもの」があることを競馬から受け取れたら、なにかにとらわれずにひたすらにという生き方が見えてくるはず。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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