2010年05月04日(火) 23:59
5月2日にニューマーケット競馬場で行われた、英国3歳牝馬3冠の第一関門「1000ギニー(G1、8F)」は、劇的な幕切れとなった。1位で入線したジャクリーンクエストが降着処分となり、2着入線のスペシャルデューティの繰り上がり優勝となったのである。ニューマーケットで開催されるギニーズで、審議の末に着順が入れ替わったのは、1着入線のヌレイエフが失格となり2位入線のノウンファクトが繰り上がった1980年以来、30年振りのことだった。ちなみに、30年前に繰り上がり優勝となったノウンファクトも、今年繰り上がり優勝となったスペシャルデューティも、馬主は同じカリッド・アブドゥーラというのも不思議な因縁と言えよう。
前哨戦の1つであるニューバリーのG3ドバイデューティフリーの勝ち馬パフが取り消して、17頭立てとなった今年の1000ギニー。1番人気(5.5倍)に推されたのが、フランスから遠征したスペシャルデューティ(父ヘネシー)だった。2歳時の戦績、4戦2勝。ニューマーケットで行われたG1チーヴァリーパークSを制した他、牡馬相手にG1モルニー賞でも僅差の2着となった同馬。レイティング117でサラブレッドランキング2歳牝馬部門の首位に立つとともに、カルティエ賞2歳牝馬チャンピオンに選出され、1000ギニーのアンティポストでもシーズンオフを通じてマーケットリーダーの座に君臨していた。
ところが、今季初戦となった4月8日にメゾンラフィットで行われたG3アンプルダンス賞で3着に敗退。2歳時の4戦がいずれも1200m以下で、なおかつ父がストームキャットの直仔ヘネシーという血統もあいまって、そうでなくてもギニーの8Fという距離に疑問符が付いていた上に、今季初戦の1400m戦で敗れたことで、果たしてこの馬にニューマーケットの8Fを乗り切るスタミナがあるかどうか、訝る声が高まる中で迎えた1000ギニーだった。
スペシャルデューティを管理するマーレク調教師がレース前に抱いていたもう1つの懸念が、スペシャルデューティが引いた1番という枠順だった。ニューマーケットの1番枠は、最もスタンド寄りの大外だ。一方、2番人気のセタ(9枠)、3番人気を分け合ったミュージックショー(15枠)、ルムーシュ(18枠)ら、有力と目されるライバルがいずれも内ラチに近いハイナンバーを引いたため、ニューマーケットのギニーで往々にして見られる、馬群が内外二手に分かれる展開になった時、競馬をさせてもらえない方の馬群に吸収されることを、管理調教師は恐れていたのであった。
ところが実際は、枠順がスペシャルデューティにとって逆に追い風となったのだから、競馬は面白い。案の定、スタート後ろ間もなく馬群は二つに分かれ、スペシャルディーティはスタンド側の一団へ。前述したその他の上位人気馬はいずれも内ラチ沿いの馬群に吸収されたのだが、ゴール前のステージで奮闘したのはスタンド寄りの馬群にいた人気薄のジャクリーンクエスト(16番人気、4番枠)やギルナグレイナ(10番人気、2番枠)で、彼女らと馬体を併せることで、スペシャルデューティは持てる力を存分に発揮することが出来たのである。
ゴール前はスペシャルデューティとジャクリーンクエストの叩き合いとなり、2頭鼻面を揃えてゴールした後、場内放送はジャクリーンクエストの先着をコールした。
ジャクリーンクエストは、ディスティンクティヴと並んで67倍の最低人気。2歳時の戦績3戦1勝。デビュー2戦目のメイドンで初勝利を挙げた後、準重賞に出て7着となって2歳シーズンを終え、前走今季初戦のG3ネルグウィンS・7着という成績では、その評価も致し方なかった。67倍での優勝は、1918年に51倍で制したフェリーを上回る、1000ギニー史上最大の大穴と、中継していたチャンネル4のコメンテイターが興奮気味にアナウンスした直後、場内に審議のコールを知らせるサイレンが鳴り響いた。
馬群を正面からとらえた映像は、外のジャクリーンクエストがヨレて、内のスペシャルデューティに2度、3度と、もたれかかっていた事実をとらえていた。ただしだからといって、スペシャルデューティのモメンタムが著しく損なわれていたかと言えばそうではなく、スペシャルデューティもしっかりと脚を伸ばしていた。
微妙な情勢に審議が長引く中、中継のカメラは、96年に遭った交通事故の後遺症で半身不随となり、車椅子生活を余儀なくされているジャクリーンクエストの馬主ノエル・マーティン氏をとらえ、氏のインタビューが始まった。ジャクリーンとは氏の亡くなった妻の名で、相応しい馬を持てたら付けたいと温めていた馬名が、ジャクリーンクエストだったそうだ。更にこの日のプレゼンターは、氏にとってかねてからのヒーローであるレスター・ピゴット元騎手で、妻の名を冠した馬でピゴットからトロフィーを受け取れるとは「まさに夢がかなった」と、涙ながらに語ったのであった。
ところが、ゴールから15分後にコールされた審議の裁定は、ジャクリーンクエスト降着。マーティン氏は改めて、涙にくれることになった。
そんな光景が、すぐ隣で繰り広げられていただけに、繰り上がり優勝となったスペシャルデューティの陣営も、複雑な表情を見せた。「勝ちたかったけど、こんな勝ち方はしたくなかった」というマーレク調教師の言葉が、陣営のまさに本音であったようだ。
前日の2000ギニーを制したマクフィーに続いて、フランス調教馬によるダブル制覇となった今年のギニー。フランス調教馬がイギリスに遠征する場合、ドーバー海峡をフェリーで渡るか、飛行機でやってくるかのどちらかが通常の輸送パターンだが、マクフィーとスペシャルデューティはユーロトンネルを通って英国入りしたそうだ。おそらくは、2頭は陸路で渡英した初めてのクラシック勝ち馬だそうである。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。