2010年05月05日(水) 00:00
心は物に触れて起こる。或いは、心は心に触れて起こるものだから、何に触れるかの意味は深い。競馬で言えば、勝負は現実だからその通りなのだが、レースから物語を感じ取れるかどうかにかかっている。ずっとそう思ってきた。
自分の言葉を持っているホースマン、その語るものには、競馬を永遠の世界に運ぶ力がある。これまで、様々な場面でそれを知る機会を得てきたが、これは貴重な体験でもあった。その中で、若い時のものは、特に深い意味を持って今日までずっと自分の力の源泉になってきた。
今や伝説の名馬になっているシンザン。その調教師の武田文吾さんのことを語る機会は少なくなったのだが、その語録は、この時代だからこその意味を持っている。そうした中で最近、自分の心によみがえった言葉がある。それはいい騎手について述べたものだが、こうだ。「身体が馬の上に乗っていて、頭がスタンドに残っている」これがいい騎手の条件だと。レースでは、ここぞというときに運動神経が反射的に働く。言わば本能的なものが出てきてこそ、見るものをうならすプレイになるが、他方でその頭の中は、いつも客観的に、冷静にレース全体をその身に感じ、すっかり見透かしているのがいい。スタンドでいて、それここぞというときに違うこと無く動いてくれる。いや、まだまだという我慢もしてくれる。レースに引き込まれていくのは、こういうシーンに接するときではないかと。
エンターテイナーでありプレイヤーである、その自在な動きこそ、とても余裕なくしては成り立たない。
このスタンドにいるものと馬の背中でプレイするものとの間の塩梅、その極上の塩梅こそとても大切な事であり、ちょっと風流に言わせてもらえば、お茶を入れるときの心に通じる「茶心悠々」の心構え、これではないかと思うのだ。ここから物語も生まれる。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。