2010年05月26日(水) 00:00
歓声につつまれていると、それが自分のことではないのに妙に安心する。みんな一緒だと。人との繋がり、絆を深め信じ合える人間関係の中にあれば、誰だって豊かでいられるのだが、世の中、なかなかそうはならない。
だからということでもないが、スタンドにいるのが好きだ。相手がサラブレッドだと、この心が優しくなっている。レースの結末なんて関係なく、確かにそうなっているのだ。
身の回りの不都合はなくなっているのに、どこか暮らしにくそうになっている世の中だ。以前から「21世紀は心の時代」と言われていたが、こんな「不安の時代」になろうとは。これは「不満の時代」と言っていいかもしれない。どこか満たされていない、だから不安は募るばかり。
こんなときだから、歓声の中に身を置く価値が、ずっと大きくなる。その歓声の中でもダービーは格別だ。その瞬間、不安や不満は吹き飛んでいく。そして、特別なことでもないのに、どこか普段と異なる自分に気がついているのだ。
行動を起こすことで得る新たな心境、自分にできることを精一杯行えばいいのだという確信。現状に止まらずに、一歩踏み出す手立ての中でも、これなら、すぐ実行できる。
さらに言えば、目の前を疾走する人馬から受けるものもある。無心にひたすらにという言葉を具現する競馬、渦巻く想念は消え去り純粋に、ただそこにいるだけ。歓声の渦の中にあって、自然に声が沸き上がり、心の中のものが全部昇華されているのが分かる。
その瞬間、満たされているからこの心には余裕が生まれているのだ。心優しくある自分が不思議に思えるかもしれない。
そしてさらに言えば、ダービーの勝敗は現実であっても、そこには物語があることを知るのだ。心優しくレースを受けとめられたからこそ、知り得る物語。歓声につつまれてその場にいようではないか、いざ。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。