「オグリキャップ」と「時代」

2010年07月10日(土) 00:00

 戦後の復興と美空ひばり、高度経済成長とON(王・長嶋)。国民的スーパースターというのは、分野を問わず、時代とともに語られるものだと思います。オグリキャップは、そういう馬でした。

 オグリキャップのデビューは87年(1987年)5月。引退は90年(1990年)12月。競走馬として活躍した時期は“2つの時代”をまたいでいます。そして何より、“バブルの絶頂と崩壊”とも重なっていたんです。日経平均株価が3万8915円の史上最高値をつけたのが89年(1989年)の12月。ここを頂点に、株価は一気に暴落。90年10月には2万円台を割り込んでしまいました。

 昭和から平成へ、1980年代から90年代へ、バブル絶頂から崩壊へ。それらが重なったのは単なる偶然でしょう。もちろん、ちょうど同じ頃にオグリキャップが走っていたのも、偶然の巡り合わせでしかありません。でも、その偶然が、なんとも不思議なのです。

 私にとっては、もっと不思議なことがあります。それは、この時期が私の人生の転機とも重なっている、ということです。

 文化放送の局アナだった私が、先輩から「一緒にフリーになろう」と誘われて、会社に辞表を提出したのが87年の11月。しかし、当時の上司から「来年の末まで待て」と言われてそれに従ったため、実際にフリーになったのは昭和64年1月1日から。局アナ時代の最後の仕事は、88年12月、その年に中央入りしたオグリキャップが最初に勝った有馬記念の実況でした。

 そして、90年の4月からテレビ東京「土曜競馬中継」の実況を担当。私にとって、今につながる“最初の年”の締めくくりが、オグリキャップ奇跡の復活の、あの有馬記念だったんです。

 私がこの時期に局アナを辞めてフリーになり、「土曜競馬中継」の実況に抜てきされたのも、たまたま偶然そうなっただけのことです。どうしてすべてが重なっちゃったのか、そのワケを考えても答えはみつかりません。でも、本当に、どうしてなんでしょうか?

 今回、冒頭に、国民的スーパースターは時代とともに語られるもの、と書きました。オグリキャップが走っていたあの時代。もしそこにオグリキャップがいなかったら、その記憶は全く別のものになっていたに違いありません。それは、オグリキャップが、シンザンやハイセイコー、シンボリルドルフやディープインパクトに勝るとも劣らない、偉大な馬だったことを表しています。

 同時に、国民的スーパースターは、多くの人たちから「同じ時代を共有できたことが幸せでした」と言われる、特別な存在でもあります。オグリキャップに対して、そういう思いを抱いている方は大勢いらっしゃるはず。私もその一人です。あの時代、そして私にとってのあの頃に、オグリキャップが走っていてくれたことに、心から感謝しています。

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矢野吉彦

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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