2010年08月03日(火) 23:00 0
北米3歳3冠路線が終了してから2か月弱が経過。3冠の1、2着馬のうち、ベルモントS勝ち馬ドロッセルマイヤー(牡3、父ディストーテッドヒューモア)こそ軽い脚部不安で牧場に帰っているが、残る5頭は短い休みを挟んで順調に調教を消化。今季の北米3歳世代を代表格とも言えるその5頭がこぞって実戦に復帰したのが、先週末だった。
7月31日にサラトガで行われた9FのG2ジムダンディーSに出走したのが、ベルモントS・2着馬フライダウン(牡3、父マインシャフト)だ。
結論から言えば、単勝2.95倍の1番人気に推されたフライダウンは、いつもの末脚が不発に終わり、8頭立ての5着に敗れた。1、2着馬は終始先行していた馬たちで、展開が向かなかったとも言えるが、3走前のG2ルイジアナダービーでも9着と大敗しているように、コンスタントに駆けるタイプではない。その気にならない時はあっさりと引き下がる馬で、休み明けのここはそういう日であったようだ。次走の変わり身に期待したい。
レースは直線、先行していたアリトルウォーム(牡3、父ストーミンフィーヴァー)とマイナーズリザーヴ(牡3、父マインシャフト)の一騎打ちとなり、最後はアリトルウォームが抜け出して重賞初制覇を飾った。
ここがキャリア9戦目だったが、これまで一度も着外がないという堅実派のアリトルウォーム。2月にガルフストリームで行われた7FのG2ハッチスンS・2着、3月にフェアグラウンズで行われた9FのG2ルイジアナダービー2着と、惜しいところで重賞を逃した後に休養に入り、復帰戦となった6月29日にデラウェアで行われたオプショナル・クレイミングを制した後に臨んだのが、G2ジムダンディーSだった。レース後も馬は元気で、次走は8月28日にサラトガで行われるG1トラヴァースSになるという。
ケンタッキーダービー1、2着のスーパーセイヴァー(牡3、父マリアズモン)とアイスボックス(牡3、父プルピット)、プリークネスS・1、2着のルッキンアットラッキー(牡3、父スマートストライク)とファーストデュード(牡3、父スティーヴンゴットイーヴン)の4頭が揃って出走したのが、8月1日にモンマスパークで行われた9FのG1ハスケル招待Sだった。
レースは予想通りファーストデュードが逃げる展開となり、1頭はさんで3、4番手がスーパーセイヴァーとルッキンアットラッキー、アイスボックスは最後方追走という形で流れた。3コーナーからスーパーセイヴァーとルッキンアットラッキーの2頭が早めに仕掛け、2頭の一騎打ちになるのかと見ていたら、直線半ばからルッキンアットラッキーの独走となり、2着以下に4馬身の差をつけて自身5度目のG1制覇を飾った。
2歳時の成績6戦5勝。唯一の敗戦が、大外枠が響いて頭差敗れたBCジュヴェナイルという、ほぼ完璧な成績で全米2歳チャンピオンの座に就いたルッキンアットラッキー。今季2戦目のG1サンタアニタダービーで3着と思わぬ不覚をとり、道中スムーズな競馬が出来なかったケンタッキーダービーで6着に敗れた段階では一旦評価を落としたが、プリークネスS制覇に続くこの日の快走で、今年の北米における3歳世代では、一歩も二歩も抜け出した存在となった。
ルッキンアットラッキーの次走に関して、管理するボブ・バファート師は「トラヴァースSを視野に入れている」と言いつつも、本拠地西海岸のレースを目指す選択肢もあると発言。馬の状態を見つつ、馬主と相談して決めたいとしている。
2着には、春の実績馬たちを抑えて、デビュー2戦目のメイドンから特別初制覇となった前走まで4連勝中だった上がり馬のトラップショット(牡3、父タピット)が入った。重賞初参戦で、これだけのメンバーを相手にしての2着は立派である。今後が楽しみな1頭と言えよう。
逃げたファーストデュードが3着に粘り、ゴール前でたれたスーパーセイヴァーは4着。末脚不発だったアイスボックスは6着だった。ファーストデュードはともかく、スーパーセイヴァーとアイスボックスは実績に見合う競馬が出来なかった。だが、ファーストデュードも含めて、ここはあくまでも休み明けのひと叩きである。彼らの次走はおそらくトラヴァーズSになろうが、各馬本来の競馬を見せてくれることを期待したい。
いずれにしても、アメリカの今年の3歳世代は上位陣のレベルが高い上に層も厚く、今後の古馬との戦いが非常に楽しみである。
この世代の選りすぐりは、今季の最終目標としてBCクラシックに挑んでくることになろうが、エスポワールシチーにとって容易ならざる相手となることは間違いなさそうだ。
合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。