2010年08月10日(火) 23:00 0
ファシグティプトン・イヤリングセールの取材で訪れていたサラトガで、アメリカのリーディング・トレーナー、トッド・プレッチャー調教師の厩舎を訪れる機会を得た。
プレッチャー師は67年6月生まれの43歳。調教師ジェイク・プレッチャーの子息として生まれ、7歳の頃から父を手伝うようになったという、生粋のホースマンである。ウェイン・ルーカス厩舎のアシスタントを経て、95年12月に父の厩舎を継ぐ形で開業。98年の夏のサラトガで初の開催リーディングを獲得してトップトレーナーの一員となったが、本当のブレークは04年で、この年アシャドでケンタッキーオークスやBCディスタフ、スパイツタウンでBCスプリントを制覇し、エクリプス賞調教師部門を受賞。以後、北米競馬界で最大の栄誉とされるこの賞を07年まで4年連続で手にするという快挙を達成した。今年、スーパーセイヴァーで悲願のケンタッキーダービー初制覇を成し遂げたのは、皆様のご記憶にも新しいはずだ。
現在の管理頭数は250頭余り。そのうち89頭が、夏競馬を開催中のサラトガ競馬場に入厩していた。サラトガの主たる厩舎エリアは、競馬場の向こう正面の一角にあるが、プレッチャー厩舎所属馬が入っていたのは、競馬場に隣接するサブトラックのオクラホマ・トレーニング・トラックに付随した厩舎エリアだった。建物は古く、綺麗で洗練されているとはお世辞にも言い難い施設だが、その古ぼけた厩舎に入っている馬たちのラインナップは超豪華だった。
モンマスパークのG1ハスケル招待を走ったばかりだったケンタッキーダービー馬スーパーセイヴァー(牡3、父マリアズモン)は、さすがにお疲れモードで、馬房の中にどっかりと馬体を横たえ、訪問者の気配を察しても泰然自若に惰眠をむさぼっていた。よほど太い神経の持ち主なのであろう。その後、立ち姿を見たが、大きな馬ではなく、第一印象は「これがダービー馬か」というものだった。だが、上腕の太さなどは桁外れで、いかにもパワーのありそうな作りの馬だった。
スーパーセイヴァーの第一印象がイマイチだったのは、隣の馬房に凄いのが入っていたゆえ、見劣りしたのかもしれない。見るからに屈強な、オーラ出しまくりだった隣の馬房の主は、古馬の看板馬クオリティーロード(牡4、父イルーシヴクオリティ)だった。後駆の力強さもさることながら、首から肩にかけての筋肉の凄さは、対峙していると恐怖感を覚えるほどで、近年ではドバイで間近に見たカーリンに匹敵する迫力だった。私が訪れた段階で、12.3/4馬身差でぶっちぎったG1ドンHを含めて今季3戦3勝だった同馬。8月7日にサラトガで行なわれたG1ホイットニーHでは、6月のG1スティーヴンフォスターHを含めて重賞4連勝中だったブレーム(牡4、父アーチ)に頭差敗れたが、依然としてBCクラシックを狙う有力候補である。
芝路線のトップホース・テイクザポインツ(牡4、父イーヴンザスコア)も、バランスの良いゴージャスな馬体をしており、これも秋のキャンペーンが楽しみ。マザーグースS、CCAオークスを制したデヴィルメイケア(牝3、父マリブムーン)も、順調に仕上げが進んでいた。
豪華なラインナップを傘下に置くプレッチャー師の朝は、全馬を自ら入念にチェックするところから始まる。馬装を終えた各馬を、ハナ前のウォーキングリングに並べ、1頭ずつ脚元をさわって状態を確認。更に1頭ずつ、厩務員が引いている状態で20m~30mにわたってダクを踏ませ、歩様を確認。問題なしとなってようやく、騎乗者が乗っての馬場入りとなった。
聞けば、問題が報告されている馬だけではなく、入厩全頭について、馬場入り前にこのチェックを行なうのだという。生粋のホースマンらしいこだわりと見た。
アメリカの厩舎らしく、各馬は運動前も運動後も、びっしりと脚を冷やしていた。あまりにも冷やし過ぎて、皮膚炎を起こしている馬もいたほどである。
調教は、日によっての強弱がはっきりとしたメニューが組まれていた。速いところをやった翌日は、厩舎前の常歩のみ。その翌日は馬場に出て、軽いキャンター。そのまた翌日は、少し強めを追う。その繰り返しだそうだ。
ただし、アメリカの調教施設には、たいしたバリエーションはない。サラトガでも、メイントラックにあるダートの周回コースと、週3日開くオクラホマ・トレーニング・トラックの芝コースのみだ。坂路があるわけでもなく、チップコースがあるわけでもなく、逍遥馬道があるわけでもなく、オールウェザートラックがあるわけでもないのである。
それでいて、クオリティーロードのようなムキムキのサラブレッドが出来上がるのだ。
例えば、調教の前後に厩舎のハナ前で行なう常歩も、一生懸命歩くという感じではなく、のんびりゆっくり歩を進める程度だった。こうやって30分ほど歩かせた後に馬場入りするのだが、同行したJRAの某調教師は、「あんな常歩ではウォーミングアップにならないと思う」と語っておられた。確かに、その通りだと思う。
例えば30分歩かせるにしても、景色が変わり気分も変わる場所があれば良いのだが、サラトガにはそういう場所もない。「私がここで調教しろと言われたら、どこで馬を歩かせるか、その場所を探すのが最初の仕事になると思う」と、前出の調教師さんは語っておられた。
それでも、ダートではアメリカの馬が断然に強いという、厳然たる事実がある。
果たして、どこにその秘訣があるのだろうか。逆にアメリカの馬たちを坂路で鍛えたら、どういう結果が待ち受けているのだろうか。色々と考えさせられる、厩舎訪問となった。
合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。