2010年11月02日(火) 00:00
シリーズでお送りしてきたブリーダーズC展望。当該週にお届けするのは、イベントのフィナーレを飾るBCクラシックの有力馬紹介である。
今年のブリーダーズCの主役は、何をさておき、このレース連覇を目指すゼニヤッタ(牝5、父ストリートクライ)である。もはやご紹介するまでもないが、ここまでの戦績19戦19勝。このうち13勝がG1で4勝がG2という記録を、丸3年にわたって積み上げて来た彼女が、いよいよ現役最後の一戦を迎えるのだ。
前走のG1レディーズシークレットSを制した後、10月14日、22日、30日と、地元ハリウッドパークで3度にわたる追い切りを消化。11月2日に決戦の地チャーチルダウンズに入ることになっている。4月にオークローンパークで行なわれたG1アップルブロッサムSを走った時には、競馬場近在のリトルロック空港に着いた段階から、地元の放送局4局が全てカメラクルーを出して到着風景をフォロー。その後、オ−クローンパーク競馬場まで白バイの先導で走ったというゼニヤッタである。この原稿を書いている段階では知る由もないが、ルイヴィルもさぞかし大変な騒ぎになっていることと思う。
このレースが、彼女にとって生涯最大の試練となることは間違いない。道中は常に最後方に位置し、3コーナー過ぎから一気に捲るも、あと1ハロンの時点は「今日こそ届かないか」という場所にいて、ゴール地点では僅差ながらもきっちり差し切るという、スリル満点のレース振りで連勝を積み上げて来たゼニヤッタが、まさか引退レースで戦術を変えるとは思えぬ。ところが今年のBCの舞台は、オールウェザートラックと比べて追い込みのききづらいダートトラックの中でも、ダッシュとスピードを信条とするアメリカ競馬の総本山として君臨しているチャーチルダウンズだ。さばかねばならぬ馬群も、これまで彼女が経験したことのない大きさである。
走るたびに極上のスペクタクルを見せ、直線における悲鳴のような大歓声が地鳴りのごとき喝采に変わる光景を展開してきたゼニヤッタが、ここでも、とても届かぬ位置からの差し切り勝ちを決め引退の花道を飾れば、場内はいったいどんな雰囲気に包まれるのだろうか。稀代のハッピーエンドが成立することを願い、競馬ファンとして心からの愛情をこめて、ゼニヤッタを本命に推したい。
最大の敵は、3歳最強馬ルッキンアットラッキー(牡3、父スマートストライク)と言われている。昨年の全米2歳チャンピオンにして、この春のG1プリークネスSの覇者だが、その評価を更に高めたのが、8月1日にモンマスパークで行なわれたG1ハスケルインヴィテーショナルだった。彼自身を含めて、ケンタッキーダービーとプリークネスSの1・2着馬がこぞって参戦するという、レベルの高い争いになった中、4馬身という圧倒的な差をつけて快勝。この世代では抜けた能力の持ち主であることを実証した。更に、10月2日にフージャーパークで行なわれたG2インディアナダービーで、本番前の足慣らしを済ませた後、BCへ向けての調教で周囲も唸る素晴らしいう動きを披露。実力派の若手がまさに充実の秋を迎えているのである。
古馬代表は、12.3/4馬身差で制したドンHを含めて、今季この路線のG1・3勝のクオリティロード(牡4、父イルーシヴクオリティ)か。ただし、10Fの距離はこの馬には1F長すぎるという声もある。
そのクオリティロードにG1ホイットニーHで土をつけたのが、ブレイム(牡4、父アーチ)だ。もっともこの時は、クオリティロードの方がブレイムより5ポンド斤量が重かったことを、忘れてはなるまい。
そのブレイムを破って、10月2日にベルモントで行なわれた東海岸の前哨戦G1ジョッキークラブGCを制したのがヘインズフィールド(牡4、父スパイツタウン)だ。ただし本番では、前走のような楽な単騎逃げは期待出来まい。
そして、上記した顔触れに続いて、注目馬の1頭に挙げられているのが、エスポワールシチー(牡5、父ゴールドアリュール)だ。「日本からやってきた最強のダートホース」との触れ込みに恥じぬパフォーマンスを見せて欲しいものである。
日本を含めて、世界の競馬ファンが注目するBCクラシックのスタートは、現地11月6日(土曜日)午後6時45分、日本時間で7日(日曜日)の午前7時45分だ。グリーンチャンネルで生中継される予定なので、ぜひご覧いただきたいと思う。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。