今後物議を醸しそうな「事件」

2010年11月09日(火) 00:00

 悲喜こもごも様々なドラマがあった今年のブリーダーズC(11月5日・6日、チャーチルダウンズ)だったが、今後物議を醸しそうな「事件」が起きたのが、初日のメインレースとして行われたBCレディーズクラシックだった。

 騒動の主は、ここで2番人気に推されていたライフアットテン(牝5)である。4歳の秋までは目立った成績の無かった同馬だが、典型的な晩成タイプだったのであろう。4歳11月にアケダクトの一般戦で自身2勝目を挙げると、同じアケダクトで12月12日に行われたスニットSで初めて特別戦に挑み、ここも連勝。5歳初戦のアケダクトの特別も勝つと、今年4月17日にホーソーンパークで行なわれたG3シックスティセイルスHに挑み、ここも白星で通過して重賞初制覇。更に勢いに乗って6月12日にベルモントパークで行なわれたG1オグデンフィップスHに挑み、ここでも白星を挙げて、なんと5連勝でG1初制覇を果たしたのである。更にG2デラウェアHも勝って6連勝を飾った同馬は、サラトガのG1パーソナルエンサインSで3着に敗れ連勝が止まったものの、10月2日にベルモントで行なわれたBCレディーズクラシックへ向けた東海岸の前哨戦G1ベルデイムSに優勝。本命馬の座はケンタッキーオークスを含めてG1・5勝の3歳馬ブラインドラックに譲ったものの、古馬代表として2番人気で臨んだのがBCレディーズクラシックであった。

 結果から言えば、彼女を支持したファンの期待に応えられなかったライフアットテン。競馬だから人気馬が負けることも、ままあるのだが、問題はその負け方であった。

 ライフアットテンを管理するのは、エクリプス賞を4度も受賞している東海岸のトップトレーナー、トッド・プレッチャーである。いよいよBCレディーズクラシックの発走が近づき、パドック奥の装鞍用馬房でプレッチャー師自らがライフアットテンの背に鞍を置いたのだが、その際、いつもに比べて異常に馬がおとなしいと感じ、手綱をとるJ・ヴェラスケス騎手に入念に返し馬をしてウォーミングアップするよう指示を出した。馬場に入り、返し馬に入ったライフアットテンだったが、鞍上のヴェラスケス騎手もまた、異常を感じた。

 アメリカのテレビ中継では良くあることだが、出走馬と一緒に馬場入りするリードポニーの騎乗者の腕にマイクとスピーカーが装着されていて、発走直前の騎手にインタビューを行う。ブリーダーズCを生中継していたESPNの解説者ジェリー・ベイリー(元名騎手)が、ヴェラスケス騎手に「調子はどうだい?」と訊ねたところ、ヴェラスケスは「良くないね」と回答。「いつものライフアットテンと違うんだ」と説明する声が、テレビを通じて全国に流れることになった。

 この段階で、原因は不明。ESPNの実況席では、獣医検査があるかもしれないと話していたが、歩様が乱れているわけではなく、ましてや外傷を負ったわけでもないので、ヴェラスケス騎手の側から獣医の診断を仰ぐことはなく、臨場していた獣医師団も自発的に診察を申し出ることもなく、ライフアットテンはそのままゲートに収まることになった。

 ところが、ゲートが開いてもライフアットテンは全く走る気がなく、レース前半はポツンと1頭、最後方をとぼとぼと着いて行っていたのだが、結局は競走を中止して、ライフアットテンのブリーダーズCは終了した。

 元気がない以外は、レース後にも異常は認められなかったライフアットテン。当初は、初めてのナイター競馬で馬が照明に驚き、ひどく怯えた状態で馬がすくんだのではないか、とも言われたのだが、その後浮上したのが、ラシックスに対する異常反応が原因ではないかという説だった。ライフアットテンは鼻出血防止効果のある利尿剤「ラシックス」を投与されての出走だったのだが、その薬物に対して、アレルギー反応、もしくは、過剰反応があったのではないか、との分析がなされているのである。もっとも、ライフアットテンはこれまでの16戦全てでラシックスを使用しているが、今回のような反応を示したことは一度もなく、なぜこの日に限って異常な反応を示したのか、真相は今も藪の中である。

 ライフアットテンは11月7日にケンタッキーで行なわれたファシグティプトン・ノヴェンバーセールに上場予定だったが、これも欠場することになった。

 アメリカの競馬は薬物使用の規制がヨーロッパに比べて緩く、レースに臨む際に使用出来る薬も複数ある。薬物の使用に関しては様々な考え方があるが、それぞれが有効に機能するならばともかく、今回のような事態の誘因になるのだとしたら、おおいに考えものである。

 誰よりも収まらないのは、ライフアットテンの馬券を買っていたファンだ。レース前に異常が発覚していたなら、なぜその段階で取り消さなかったのか(あるいは現行のルールでは取り消せなかったのか)を含めて、今後議論を呼ぶことになりそうである。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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