「第2回ジョッキーベイビーズ」その1

2010年11月10日(水) 00:00

 GI競走の谷間になっている11月7日(日)。第4レース終了直後の昼休みに「第2回ジョッキーベイビーズ」が東京競馬場芝コースを使用して行われた。

 北海道地区2人、関東地区2人、長野地区1人、関西地区2人、南九州1人の計8人が抽選によって決定したポニー(いずれもJRA所属)に騎乗し出走。後半200mにはかなり差のつくレース展開となり、内側で先行する2騎(北海道代表・福久紗蘭さん=ユキノヒビキ号、関東代表・川島はるかさん=コリス号)に外側から迫った関東代表・渡邉亮介君(グッピー号)がゴール前きれいに差し切り優勝した。

(写真・渡邊亮介君1着)

(写真・JB川島&福久)

 昨年好評を博したジョッキーベイビーズは、今年様々な点が変更された。まず関西地区枠が2人新設されたことにより、長野と南九州がそれぞれ2人から1人に削減されてしまった。全体で8人という総数は同じである。

 当然のことながら削減された地区からは不満の声が漏れる。昨年の第1回が成功裏に終わった直後、あるJRA職員は「まだどうなるかわかりませんが」と前置きしながら「来年は関西からもぜひ出したいと要望がありまして、ひょっとしたら全体で10頭くらいに増えるかも知れませんね」とオフレコで語っていた。

 しかし、第2回の開催が正式発表されると前記のような代表枠の配分になった。

 変更点はレースに関する部分にも及んだ。まずスタートは、コーンを置いてそれぞれコースを設定し、後方で輪乗りをした後、カウントダウンの残り5秒でコースに入り、3.2.1、0で係員が手綱を放す方式に改められた。

 またゴール後は、ある程度まで惰性で走らせた後、ポケットに追い込んで係員が捕まえることになった。

 これは昨年、ゴール直後に係員が両手を広げて馬前に立ちはだかるように近づいたことにより、落馬してしまった反省を踏まえての措置である。

 前日午後1時。各地より代表の8人が東京競馬場の乗馬センターに集合した。保護者や関係者とともに会議室に集められ、そこで翌日の本番に向けての説明会から始まった。

 「安全第一。勝ち負けよりも安全に事故なくレースが成立することを優先させて下さい」と冒頭にJRAより基本方針が示された。

 昨年の第1回は、木村拓己君(北海道代表・ピース号)が「思わず夢中で出てしまった」というガッツポーズでゴールイン。スタンドの観客から喝采を浴びた。

 今年の第2回目。各地の予選ではこの木村君に続けとばかりに、代表の座を獲得するための争いがよりいっそう白熱した。

 代表8人のプロフィールが顔写真とともに紹介されており「1着でゴールしたい」「ガッツポーズを決めたい」という強気のコメント?が今年は目立った。

 そうした「必要以上に闘志を燃やす」姿勢を牽制する意味もあったのだろう。「勝ち負けよりもまず安全第一」は今後のジョッキーベイビーズに向けての方向が示されたものと解釈できる。これは本物の競馬とは違う、ということなのである。

 騎乗馬を決定するのは昨年も今年も「くじ引き」である。予めJRAで騎乗馬を恣意的に決めているのではないか?というような疑惑も耳にしたが、それは断じてない。

 今年はまず、ある保護者の提案により「全員でジャンケンをした後、くじ引きの順番を決めてくじを引く」ことが決まった。

(写真・じゃんけん)

 次々に箱の中の紙片をひとつずつ取り出す。全員が取り終えたところで一斉に開いて、その瞬間に騎乗馬が決まった。紙片には馬名が明記されており、くじ引きはあくまで公正なものだ。

(写真・馬名入り紙片)

 騎乗馬が決まると、いよいよ乗馬センターにて練習である。わずかの時間に馬の性格や癖などを把握しなければならないので大変だ。ポニーにはそれぞれJRA職員が「臨時厩務員」として1人ずつ付けられる。

 馬装を整えた後、乗馬センター角馬場に集合した8騎はさっそく部班運動を開始した。

(写真・前日の練習風景)

 さすがにみんな上手だ。右回り、左回り、常歩から駆歩まで職員の指示通り馬を動かしてみる。

 午後4時半過ぎには昨年と同じく本馬場入りしてリハーサルを行った。西日に向かって、思い思いのペースで軽く流し、本番への手応えを掴んだ。

(写真・JBリハ川島(福久、根本)

(写真・JBリハ荒井&木下)

 来週は当日の模様について書く予定。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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