2010年11月30日(火) 00:00
ニューマーケットで行なわれる繁殖牝馬セールに立ち会うために英国に来ているが、ジャパンCで起きた1着入線馬降着のニュースは、こちらでも大きく取り上げられている。
英国における論調を、きわめて大雑把に分類すれば、「降着にしなくても良いのに」が6割で「降着当然」は4割といったところか。その背景にあるのは、英国と日本、あるいはその他に国のおける、妨害と処罰に関する基本的考え方の違いである。
権威ある競馬日刊紙レーシングポストから東京に派遣されていたニコラス・ゴッドフレイ記者は、そのレポートの中で、「審議のアナウンスがあって、まずちょっとした驚き、そして着順変更になって、更に驚いた」と綴っている。
ゴッドフレイ記者も、妨害に関する日本のルールは厳しく、英国のものよりは仏国のものに近いと書き、実情への正しい理解を示した上で、前述の評論を記しているのは興味深い。
英国の場合、妨害があったとしても、それが明らかに実際の着順に影響を及ぼしたと判断されない限り、なかなか降着にはならないのが普通だ。ジャパンCで言えば、ブエナビスタとローズキングダムのゴール前の脚色は誰が見てもブエナビスタの方が勝っており、仮にローズキングダムが不利を受けずとも、ゴール地点で両馬の間にあった1馬身半差が逆転した可能性は限りなく低い。更に言えば、ローズキングダムが鼻差で3着に敗れていたら、彼を2着に救い上げるという目的でのブエナビスタ降着は考えられるが、ローズキングダムは2着を確保した。そうであるならば、騎手に対する制裁はあったとしても、着順を入れ替える必要は無い、というのが英国式の考え方である。
確かに、ジャパンCで最も強いレースをしたのはブエナビスタであるという点では、日本人の間でもほぼコンセンサスが得られることであろう。
レーシングポストには、4着入線のジャガーメイルに騎乗したライアン・ムーア騎手のコメントも載っており、英国をベースに騎乗している彼も、「正しい判断とは思えない」と発言している。
ムーアは更に、こう続けている。「(競馬とは)真のチャンピオンを決めるものだ。今、そういう存在がいないだけに、この降着は競馬にとってとても残念なことだ」。
誤解のないように補足すれば、ムーアは、真のチャンピオンならば多少の妨害を許される、と言っているわけでは決してない。彼もまた、1・2着馬のどちらが強いかは明白であり、だからこそスターがスターとしてあるべき地位を奪われたことが残念と嘆いているのである。
ムーアの言葉に代表されるように、ブエナビスタに対する評価は、ヨーロッパでも極めて高い。レーシングポスト紙も「Super Star filly」と言う形容を付けて報じているし、来年の現役続行を切に望むとした上で、「例えばドバイワールドCに出て来れば有力馬となろう。なぜならシーマクラシックで2着した前年よりも更に強くなっているから」と論評。更にスミヨンの「自分の乗った最強の牝馬」とのコメントを引用し、すなわちこれは「ザルカヴァより上」と結んでいる。
降着に異論を挟む声がある一方で、言うまでもなくスミヨンの乗り方に対する批判も飛んでいる。レーシングポストは成績欄のレース回顧で、「スミヨンはワールドクラスの騎手だが、ジャパンCにおける騎乗はワールドクラスではなかった」と綴り、「ブエナビスタが左にヨレているにもかかわらず、これに構わず右ステッキを使い続けたこと」に対して、スミヨンは責任を取らねばならないと結論づけている。
ヨーロッパでもスミヨンは、勝利に対して時にハングリーになり過ぎると言われている騎手だ。更に言えば、この秋の日本における騎乗でも雑で荒いプレイが何度か見られており、関係者から「危険」との声が上がっていたと聞く。今回の制裁に直接関わることではないが、累積しつつあった過去の蛮行に対する批判が、「この辺りでお灸を」との結論に全く反映していないとは言えないだろう。日本に来る外国人騎手には、日本に来たからには日本のルールを順守し、きれいに乗ろうとしている人も多数いる。スミヨンにも、よりきれいで安全な騎乗を心がけて欲しいものである。
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合田直弘
1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。