2010年12月08日(水) 00:00
人間とはと、昔からいろいろな人が定義づけをしてきた。実に様々と言ってよく、これがなかなか面白い。その中で人の口によくのぼるものと言えば、こんなところか。
まず、「人間とは理性を持った動物」と言い、「人間は道具を使う動物」さらには「人間は遊ぶ動物」というのまである。
若い頃読んだドストエフスキーの著述の中には、ちょっと考えさせられるものもあった。「人間はいかなることにも馴れる動物である」と述べていたのだ。意味深く、考えさせられる言葉だが、これがドストエフスキーが逆境の中にあったときに述べたものと知れば、少しは分かるような気がする。
それにしても馴れるとはどういうことか。色々考えられるが、それは実感を失うことであり、新たなものをもとめる心の動きにつながるという解釈もある。
ところで競馬は、「人間とは遊ぶ動物」という定義にかなっている。それによって、どんなに追い込まれても、やがて馴れてくるものでもあると、確かに言える。これはなかなか面白い。逆に、次から次へといいことが重なっても、きっとそれに馴れて、やがては生活という実感をなくすのかもしれない。
まあ、いいことが重なるという幸運は、競馬に限ってみれば想定する必要もないのだが。こうした馴れによる閉塞感を打ち破るには、それまでと異なる環境を手に入れなくてはならない。
何か新しいことで気分転換させて、別に希望を燃やせばいいのだ。この臨機応変こそ、しっかり生き抜いていく知恵であり、それは競馬にだって言える。そう「人間は知恵のある動物」なのだから。
一日の競馬を人生に例えれば、午前中の結果が思わしくなければ、どこかでその流れを吹き切る気分転換をすればよく、レースへの取り組み方にちょっと変化をつけてみてはとなるのだか、どうだろうか。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。