2010年12月15日(水) 00:00
奥床しい、つまり、深い心づかいがあって思いやりがある、こういう心ある人ばかりだと、この世は生きやすいのだがと、時折感じたりするのではないか。
こういう言葉もある。「よくわきまへたる道には、必ず口重く、問わぬ限りは言はぬこそいみじけれ」と。
立派な人は、知っていることだからといってそれほど物知り顔をして言うだろうか。何事も深く立ち入らない様子をしているのがよいのだと、これは論語を勉強していた学生の頃に教えてもらった。そして、ずっと心に残っている。
ところが、世の中の荒波にもまれているうちに、そんな控え目では生きてはいけないと思い知らされることが多くなった。
そこで、逞しいとはどういうことかと自問する時期が続いてきたように思うのだ。そして、耐えることも逞しさに通じるのだといい聞かせるようになった。
その点、競馬の日常には、このような事柄が満ちている。
相手の心を知らずに、自分の手柄ばなしに終始して嫌われること、実に多いのではないか。少なからず胸を痛め、ふところを痛めていくのが多い中、たまたまよかったからといって、言いまくられてはたまらない。それに、人に尋ねられたのならともかく、そうではないのにである。
競馬の道は、よく心得て歩かないことには、とんでもない泥道になってしまう。楽しい筈が、気まずいことになってしまわないためにも、必ず口を重くし、自分から言い出したりしない態度でいたい。つまりは、これは修行なのである。だから、競馬道という言葉があってもいいのである。
競馬に話が弾むのはうれしいが、是非とも奥床しくも楽しいものでありたい。その心づかいこそ、人間道を立派に築くことになるのだから馬鹿にできない。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。