2011年01月12日(水) 00:00
1月8日、9日の両日は京都競馬場への出張であった。「シンザン記念」表彰式をお手伝いするミスシンザン(平野唯さん=日高信用金庫勤務)に随行して、である。
ここ浦河で毎年夏に開催される「シンザン・フェスティバル」だが、昨年は宮崎県で発生した口蹄疫拡大のあおりを受け“自粛”した経緯がある。そのために、一昨年に選出された平野さんがそのまま今回も派遣されることになったのである。本来ミスシンザンは2人いるが、ある事情から現在は平野さんのみ。ただし、彼女は昨年表彰式を一度経験しており、今年はかなり気が楽だったのではあるまいか。
8日(土)、正午前に京都競馬場に到着。北海道より平野さんを含め一行6人が参加した。伊丹空港から競馬場まではジャンボタクシーでの移動だったが、これは料金も安く人数がまとまるとかなり割安である(高速料金含め9000円程度)。乗り換えもなく、所要時間も短い。空港バスで京都駅まで行き、近鉄〜京阪と乗り継ぐよりも断然楽でお勧めだ。もちろん人数がある程度揃った場合の話だが。
シンザン記念は翌日である。前日は、昨年までKBSのテレビ出演が組まれていたが、今年は番組改編のためにそれもなくなり、午後に日刊スポーツ社(シンザン記念に社杯を出す)の取材を受けるのみ。例年と比較するとひじょうに余裕のあるスケジュールで、そのせいかついつい馬券をよけい買ってしまうことになった。結局、最終レースまで買い続け、大幅のマイナスでこの日は終わった。
翌9日はいよいよシンザン記念当日である。天候はまずまずで、私たちが競馬場に到着した午前9時半ころには多くのファンが電車から降り入場門に向かって歩いていた。
この日はゴンドラ席に数人の「知人」を招待していた。JRA職員から「馬券を買っていただけるのならどなたかお知り合いを呼んではいかが?」と提案されていたのだ。
シンザン記念に初めて出張したのはかれこれ20年も前のことになるが、当時は競馬人気が最高潮に達していた時代で、とてものこと、ゴンドラ席に誰かを呼ぶのは敷居が高かった印象がある。しかし、時代が変わり、今では少しでも売り上げ増に結びつくのであればできるだけ多くの人に機会を提供すべき、と方針が変わってきているのかも知れない。
因みに今回は競馬歴45年余に及ぶKさん(京都市東山区在住の清水焼窯元)とその友人の警備会社社長Iさんに初めて来てもらった。
Kさんは何せ「生のシンザン」を見たことのある人だ。競馬はメイズイ・グレートヨルカの時代からやっており、以来、「家を何軒分か、つぎ込んだ」ほどのファンである。KさんもIさんも高い位置から見下ろすゴンドラ席に感激した様子であった。
ミスシンザンの平野さんは午後3時になってから下に降り、コンパニオンたちに混じって表彰式のリハーサルを行なった。昨年一度経験しているので「余裕」である。表彰式の要領は昨年とほとんど同じで、いよいよレースの時刻を迎えた。
レースは三番手を進んだレッドデイヴィスが直線に立つと余裕残しのレコード勝ち。前走1着で入線しながら斜行のために10着に降着させられた鬱憤を晴らす激走を見せた。浜中騎手、音無調教師ともにこのレース初制覇である。
レッドデイヴィスは父アグネスタキオン、母ディクシージャズ(その父トニービン)という血統のせん馬。
馬主は東京ホースレーシング、生産はノーザンファーム。あまりの気性の悪さに去勢された由だが、せん馬はクラシック出走ができない規定のため、春以降の目標はどのあたりになるだろうか。
なお、この日はドナウブルー目当ての取材なのか、いつもの年よりもカメラマンが多かったような気がする。これからクラシックへの出走権利争いが激化してくる。その話題の中心にいるのがディープインパクト産駒たちだ。
ミスシンザンの平野唯さんは無事に今年も大役を務め、表彰式が終わってから柵越しにファンと思しき男性よりプレゼントを手渡される場面もあった。
今年の夏には2年ぶりに「シンザンフェスティバル」が開催される予定である。そこで新しいミスシンザンが選出される運びとなる。
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田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。