2011年01月18日(火) 00:00
競馬に偶然はあるのだろうか。確かにそのように思えるようなことはあるのだが、どうしてもそれだけで納得しにくい。人間には意志があるだけでなく、感性だってある。それらを無視しては考えにくいではないか。
物事を第一線にあって成し続けている、いわゆる第一人者は、人生に偶然はないと確信を持って言い切ることが多い。その立場を維持するのに、どういう努力を重ねているかを思えば、わかるのではないか。よくアスリートがインタビューに答える中で出てくる言葉、楽しんでベストのパフォーマンスというのがあるが、これにつけ加えれば、楽しむには資格があると述べたい。ゆとりと油断とは違うのだから楽しむ経験があるかどうか、第一人者は常に自問しているはずだからだ。
競馬に取りかかるにはと以前はよく言ったものだ。基本スタイルのようなことで、とにかく馬の知識を豊富にすることがまず大前提としてあり、その次には、自分の目で馬をしっかりと見ること。パドックなり返し馬に時間をかけることが肝要。そして、最後の判断は自分の感性を働かせる、なるべく他人に頼らない、これが基本と言われてきた。
事実、自分の周辺で長く競馬を続けてきた者の多くは、この基本スタイルを守ってきた者ばかりだ。面白いのは、この3つの要素のバランスが、人によって違っていることで、知識やデータに片寄る者、とにかく馬を見なければ承知できない者、あくまでも自分の感性、勘に頼る者と様々なのだ。
だが、大切なのは、いずれであっても、最初は、基本スタイルとバランスよく取り入れていたということ。つまり、競馬を自在に楽しむ資格を持っているのだ。そのうえで、自分なりの楽しみ方を会得したので、そこには偶然だけという考え方は入りにくい。
競馬に偶然はあるのかと問うなら、それなりの資格を身につけた者に限って、それはあると答えておきたい。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。