競馬を続ける意味

2011年02月09日(水) 19:00

 もしももう一度だけ若さをくれると言われても、おそらく私はそっと断るだろう。若い日のときめきや迷いはもう一度繰り返すなんて、それはもう望むものではない。

 これはソウル生まれの韓国を代表するフォークシンガー、ヤン・ヒウンさんの詩の一節だ。さだまさしさんの訳詩、作曲で出来た「人生の贈り物〜他に望むものはない」という歌になっている。

 年を重ねることで気づくことが沢山あり、美しく老いてゆくことがどれほどに難しいかということさえ気づかなかったと、人生の中に潜む秘密、それが大きな贈り物となってくると歌っている。他に望むものはない、何があればいいのかと言うと、並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる友が居ればいいのだと語り終えていた。

 この心境になると、身の回りに咲く花の美しさに心が動くようになる。季節の花がこれほどに美しいかと気づく。木々に飛んでくる小鳥の姿にも、目が止まる。美しく老いるというのがどうゆうことかに思いが及ぶ。日々が自然体になっていくような心地良さ、それがあるのだ。

 では、競馬人生を続けて歳を重ねてどんな心境に到達しているのだろう。こんな穏やかな心地良さを味わえているだろうか。達人の域とはどういうことか。夕日を一緒に眺めてくれる友とは、競馬ではどういうものかと考えたらいいのだろうか。

 とにかく、まだまだ分からないことばかりだ。とても、他に望むものはないとは言い切れない。レースを前にしたときのときめきや迷いは、いつまでたっても消えていないではないか。競馬人生のスタートラインに立ったときの心境と、少しも変わっていないのだ。

 と言うことは、競馬人生は年をとることがないのではないか。このときだけは、いつも若いままなのだと考えられる。だから、競馬を続ける意味があるという結論なのだが。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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