トップトレーナーの引退発表

2011年03月01日(火) 00:00

 ニューマーケットのトップトレーナー、マイケル・ジャーヴス師が、今年の平地シーズン開幕を前に、現役を退くことを発表した。

 1938年8月14日生まれのジャーヴィス師は、現在72歳。障害戦の騎手として競馬界におけるキャリアをスタートさせ、トウサー・ゴスデン、ゴードン・スミスといった調教師の下でヘッドグルームとして経験を積んだ後、30歳となった1968年に、馬主デヴィッド・ロビンソン氏の後ろ盾を得てニューマーケットで自らの厩舎を立ち上げた。

 開業していきなり、ソーブレスドで短距離の主要レースであるニューマーケットのジュライCとヨークのナンソープSを連覇し、順調な滑り出しを見せたジャーヴィス厩舎。ソーブレスドと言えば、プリンスリーギフトの直仔で、現役引退後しばらく英国で供用された後、この系統が大流行していた日本に導入されて門別スタリオンステーションなどで供用されたから、ご記憶の方も多いと思う。

 開業初年度は更に、チューダーミュージックがグッドウッドのリッチモンドSを、フライングレッグスがヨークのロウザーSを制するなど、驚異的なペースで一流馬を輩出。2年目の69年にも、チューダーミュージックがヘイドックのスプリントCを制するなど、マイケル・ジャーヴィス厩舎は瞬く間に、イギリスにおけるトップステーブルとなった。

 ソーブレスドに続く日本との繋がりになったのが、1989年に凱旋門賞を制したキャロルハウスである。現地で同馬の凱旋門賞制覇を見届けた吉田善哉氏が、その馬体の良さに惚れ込み、電光石火でトレード話を締結。その年のジャパンCに、吉田善哉氏の服色で参戦したのである。キャロルハウスはその後日本で種牡馬となり、小倉3歳Sの勝ち馬エイシンサンサンらを輩出した他、エムオーウイナー、エーシンディーエスといった重賞勝ち馬の母の父となっている。

 その後も、2000年のジャパンCに、G3ランカシャーオークスの勝ち馬で、G1ヨークシャーオ−クス2着の実績があるエラアシーナを送り込むなど、時代に即応して積極的に海外に進出した一方、地元欧州においても、2000年の仏ダービーをホールディングコートで、2001年の英千ギニーをアミーラットで、2005年の英オークスをエスワラーで制するなど、着々と実績を積み重ねて来た。

 そんなジャーヴィス師が、自らが手掛けた「最も能力の高かった馬」と称しているのが、2003年から2005年にかけて、8F〜10Fの戦線を荒らしまわったラクティだ。3歳シーズンまでイタリアのブルーノ・グリゼッティ師が手掛け、イタリアダービーを制したラクティが、ニューマーケットのジャーヴィス厩舎に移って来たのは、2003年春だった。以降、ロイヤルアスコットのプリンスオヴウェールズS、ニューマーケットのチャンピオンS、ニューバリーのロッキンジS、アスコットのクイーンエリザベス2世Sなど、8Fと10Fの主要タイトルを次々と獲得したラクティ。2004年にはマイルCSに参戦しているので、これもご記憶のファンが多いはずだ。圧倒的な能力を持っていた反面、気性的に当てにならないところがあり、「きまぐれラクティ」とか「暴れん坊ラクティ」と言われた同馬は、ジャーヴィス師にとって思い出の多い馬となっているようだ。

 近年は心臓に持病を抱え、手術も経験した他、前立腺ガンを患い治療を受けるなど、健康面の問題を抱えていた。特にここ数カ月は体調が思わしくなく、調教師という激務をこなすのは困難と判断して、平地シーズン開幕を前にしての引退表明となったようだ。

 80頭余りの現役馬と、クレムリン・ハウス・ステーブルの運営は、ジャーヴィス師のアシスタントを10年務めた、ロジャー・ヴァリアン助手が引き継ぐことも、合わせて発表された。ジャーヴィス師によると、現在のクライアントは全員が、厩舎がヴァリアン助手への禅譲されることに賛同しているとのことで、厩舎スタッフもそっくりそのまま、ヴァリアン新調教師に引き継がれることになった。

 ロジャー・ヴァリアン新調教師は、昨年8月に結婚されたばかりだが、実は奥様は日本人である。そうした縁もあって、ニューマーケットで研修した日本人ホースマンの中には、ヴァリアン新調教師を知っているという人がかなり居り、筆者もまた、数年前から交誼を持たせていただいている。非常に穏やかで物静かな性格で、物腰も柔らかく、こういう人が手掛ければ、馬もおとなしく従順になるであろうと、会った者が誰もが思う人物である。新生ヴァリアン厩舎から活躍馬が出て、好漢ロジャーが馬とともに日本にやってくる日を、心待ちにしたいと思う。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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