無理なく自然に

2011年04月28日(木) 12:00

 世の流れとともに生き、その清濁に超然としていられたら、どれだけ気持ちが楽か。人はその境地に到達できないから苦しんだり迷ったりする。わかってはいても、これは仕方のないことなのか。できるだけ、こだわらずにゆるやかに生きたいと心しているのだが。どうしても、知をはたらかせ作為的に生きようとする自分が出てくるのだ。

 無理なく自然に、そう競馬からして、そう戦おうとしているではないか。少々都合の悪い状況にこだわっていたのでは、イライラは募るばかり、いいことはない。双眼鏡のその先に見えてくるものから、どの人馬が自然流で流れに乗れているのか、それを見つけなければならない。この無理なくの雰囲気こそ、受けるダメージは少ない。春の大一番に向けて、かく戦えている人馬がいるのか、結果だけにとらわれず、そこをしっかり見ておくべきなのだが。

 こちらに余裕のあるときには、双眼鏡にある種の手応えを感じるときがある。覗く側にも全てを呑み込む超然とした態度がなければ、得るものも得られなくなるので、いつもこの気持ちのあり方は大切にしてきた。何事も、こざかしいのはよくないと実感している。

 人は、知能のはたらきを持つ生き物だから、常になんとかしようと心が動くのだが、それをどうコントロールするか、全てはそこにかかっている。どう一体となるか、自然流の極意をつかむことで、そこから計り知れぬ自然の妙用が活かされてくる。そう思えてならないのだ。

 例えば、皐月賞馬オルフェーヴル。左回り、スムーズな折り合いと、自らの課題をクリアしたのは大きい。ダービーも同じコースというのが心強いのだが、それよりも、池江調教師がポツリと述べてくれたひと言、「まだまだ土台がしっかりしてくる余地があるので」という言葉に期待を持ちたい。勝って尚且つ超然と先を見つめる心境であるのが素晴らしい。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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