2011年05月12日(木) 12:00
大器は晩成す。この句はよく使われる。完成するまでに大器は長い時間がかかるという意味だが、人を慰めたり励ましたりするのにこの句は都合がいい。ところが、晩成の晩は限りなく遅いということだから、大器はほとんど成り難く、従って、大器は完成しないという解釈が中国にはあると、なにかで読んだことがある。
この解釈の奥には、本当に大きな器量は、成ることのない状態を指すのだから、完成するような器は、本当の意味での大器ではない。完成することがないからこそ大器というのだと教えている。
さあ、どちらの言い分がいいだろうか。
この大器晩成は、競馬でもしばしば登場する。多くの場合、その馬の将来性を高く評価するケースで使っているようだが、大器が大器のままで終わり、大成しないことの方が多いように思えてならない。馬に寄せる人の思いは、あくまでも希望に満ちているから、いつかは成る、大成するんだとこの心に言い聞かせているようだ。もっとも、これも競馬の中にあるロマンなのだから、いつまでも大器晩成を願ってもおかしくない。
しかし、ただ願うだけでないのも競馬である。人智は、少しでも工夫を凝らし、ひとつの目標を達成させようとするものだ。
この目標達成の過程を問題にするのが競馬のひとつの側面だが、ここで判断を誤るのも競馬だ。あまりにも直近の出来事にとらわれすぎているのだ。
グランプリボスが一番人気に応えたNHKマイルC。いくらサクラバクシンオー産駒でも、暮れのステークスを勝った2歳王者なのだからと支持したものに軍配が上がった。
ところがそうでないものは、前走の3着が気に入らないと解釈して嫌っていた。この3着、あくまでも本番を想定して戦っていたのだとは考えなかったのだ。大器晩成にばかりとらわれてはいられない。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。