2011年05月19日(木) 12:00
ただ、ああして何年となく事業の成功という事だけを重に眼中に置いて、世の中と闘っているものだから、人間の見方が妙に片寄って、こいつは役に立つだろうかとか、こいつは安心して使えるだろうかとか、まあ、そんなことばかり考えているんだね――漱石がその著作「彼岸過迄」で、こんなことを書いている。百年たっても、人間の世の中は変わらないことが多いようだ。特に、人の心はそのようなのだから、どう仕様もない。
そうなってしまうのは、取りも直さず、その了見が狭いからにほかならない。何が何でも成し遂げるんだという執念は、こと、自分の心の中だけで燃やしつくすだけだったらいいのだが、これが他に向けられてのことになると正しはなくなる。我欲をどう抑えて心のバランスをとるか。生きていくということは、これとの戦いのように思えてならない。
手近なレースに対しても、こんな思いが頭をもたげる。
競馬にはロマンがあり、同事に馬券にもロマンがある。的中させて大金が入ることを思い描くというロマン、確かにある。だが、このロマンが我欲に変身してしまうと厄介だ。
大レースほど、全ての思惑を吹き飛ばす感動を与えてくれるのだが、あまりにも我欲が強すぎると、その感動にブレーキがかかってしまう。自分の願いどおりになってくれなかったという無念の思いだけがあって、折角の大一番の感動をともに共有できないで終わってしまう。もし、こうなっているようだとつまらない。純粋にレースを味わう、スタートしたらこの思い一点に集中させようと、心のバランスを保つよう、時折、言い聞かせているのだ。そうでなければ、アパパネに迫るブエナビスタのゴール前に、心を踊らせることはなかっただろう。オークスもダービーも、その瞬間は、バランスを失わず観戦したい。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。