信実のある言葉に飾り気はいらない

2011年05月26日(木) 12:00

 信実のある言葉には飾り気がないと言うし、飾り気の多いことばにはまことがないと言う。また、多弁な人間は本物ではないと戒めてもいる。このことに関連して、中学の頃に学んだ論語が頭に浮かぶ。そこにあった「巧言令色すくなきかな仁」という言葉、ずっとこころに残ってきた。

 物事を表現する、言い表す場面に遭遇するとき、真情をどうこめていくかは少なからず問題だ。なるべく飾り気をとってまことの言葉と思うのだが、うまい味を出さなければというこころが邪魔をするのだ。

 飾りたてることはないのだと幾度となく言いきかせて今日にいたっているのだが、かと言ってぼんやりしていては正直な言葉も出てこない。そこが難しい。

 その言い表す場面のひとつに、当然競馬もある。レースを実況するとき、結果を伝えるとき、すべてがフリートークなのだが、無理矢理予め考えていた言葉を注入しようなどと思っていたら、とんでもないことになってしまうのだ。その瞬間、瞬間で自分のこころがどう反応するかがすべてなのだから、事前に言葉を作っていたのではうまくいくはずがない。

 ただ、不安がぬぐえないからそうしているので、如何に自然体でその場にいるかが大切だ。ひたすらそこに自分の身もこころもおくことに専念する。いや、専念するという作為はいらない。ただ、その場にいるだけで、その時々にどう反応するかでいいのだ。

 ダービーのような大きなイベントになればなるほど、なにか仕掛けを作っておきたいという誘惑にかられる。まるで何にも考えないというのも如何にも準備不足に思えるのも確か。そこで、このこころを大きく安心させるために、様々な事柄や思うところは事前にメモを作ることはするようにしてきた。

 だが、信実のある言葉には飾り気はいらない、この基本はしっかりさせておかないと、伝えることはできないと確信している。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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