大人の勝負師とは

2011年06月30日(木) 12:00

 一杯、一杯、復(ま)た一杯、ただひたすらに杯を重ねていく、差し向かいで酒を酌み交わす楽しさを歌った李白の詩に出てくる。気の合った同士なら、こんな飲み方が最高かもしれない。

 この詩は続けて、我酔うて眠らんと欲す、きみ、しばらく去れと書かれている。いい気持ちに酔っぱらうと眠くなるのは当然、眠くなったから帰ってくれないかというのだから面白い。君子の交わりは淡きこと水の若し、こんな風に淡々としてこだわりがないところが素晴らしい。

 酒を競馬に置き換えてみたらどうなるか。

 ひと勝負、ひと勝負、またひと勝負、ただひたすらに勝負を重ねていく。結果にこだわらず、淡々と。恐らく、交わす言葉もあまりなく、次から次へと続けていくだけ。互いに干渉することなく、ただ共に、静かに馬券を購入し続けるだけ。慌てず、騒がず、物静かな雰囲気、大人の勝負師とはどんなものであるかを醸し出しているのだ。

 男なら、若い頃に一度は憧れる姿ではないか。勝負事をやる態度というか、どう居住まいを正すべきかは、競馬をやる者の身につけておくべき心意気ではないかと思う。

 この世界にあって、野暮は通用しない。目の前のひとつひとつの結果は、そのまま甘んじて受け止めなければならない。それができないなら、手を染めるべきではないのだ。

 その場にあって大声を出すのは、ここ一番の瞬間だけ。結果がどうであれ、終わってしまったら、全てが過去のこと。四の五の言わず、愚痴らず、聞かれもしないのに言い訳を述べない、守るべき大人の勝負師の素養を身につけているだろうか。どうせやるなら粋でありたいとは思わないか。

 大人が、どれだけ憧れられる存在になっているかで、世の中はちがう。大人の勝負師がどれだけいるか、競馬の先行きに大きな影響を与えていくことだといつも考えている。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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