シンザン写真展

2011年07月27日(水) 18:00

 5冠馬シンザンが今年生誕50周年を迎えた。そして、没後15年が経過した。

 1961年4月2日に生まれたシンザンが35歳3ヶ月11日の軽種馬長寿記録を樹立してこの世から去ったのは1996年7月13日のこと。これ以降、シンザンの記録を超える軽種馬は出ていない。

 天皇賞馬リキエイカンが生まれ故郷の鮫川牧場(浦河)にて功労馬として余生を送り、シンザンの記録にわずか2週間足りない35歳2ヶ月27日で死去したのは2001年7月2日のことであった。

 また、シンザンが長寿記録を打ち立てるまでの記録馬はカネケヤキの34歳231日。カネケヤキは奇しくもシンザンと同じ年に生まれ、桜花賞とオークスを制した名馬で、青森産。シンザンに抜かれはしたものの、未だに「牝馬長寿記録馬」のタイトル? は保持している。

 いかに長寿記録の達成が難しいことであるのかが以上のことからもお分りいただけよう。シンザンというと、若い世代のファンには「長寿記録」の方があるいは知られていることと思うが、冒頭でも記したように、日本競馬史上初めての「5冠馬」として輝かしい戦績を残した稀代の名馬である。

「シンザンを超えろ」というのが長い間わが国の競馬関係者にとってのスローガンでもあった。

 さて、前置きが長くなった。シンザン生誕50周年という節目の今年、ちょうど今週末にここ浦河で開催予定のシンザンフェスティバルにて、何か記念行事をやろうという機運が盛り上がり、2つの案が浮上したのは6月のことである。

 1つは記念クオカードの制作だ。

 使用するのはシンザンがまだ若々しく元気のあった時代のものを2点用意した。台紙入りの2枚組で、1枚はシンザンが最初のクラシック(皐月賞)を制した直後の写真である。

 もう1枚はシンザンの元に足しげく通い数々の傑作を残している内藤律子さんから、シンザンが猛々しい表情で立ち上がる写真を拝借することになった。

 そして、もう1つの記念行事がシンザンの写真展である。

 これは、シンザン没後に繋養先の谷川牧場へ届いたレースや口取り写真がベースになっており、いずれもほとんど公にはなっていない貴重な写真ばかりである。

シンザンの写真

 サイズは四つ切とワイド六つが大半で、しかもモノクロが多い。経年による劣化もないわけではないが、シンザンの写真の多くは種牡馬入りしてからのもので、少なくとも私個人は、現役時代のレース写真などはほとんど見たことがない。

 その数約30点。谷川牧場では「何せ15年も前のことなので誰がどういう経緯でこれをウチに送って下さったのかはっきりした記憶がない」とのこと。

 しかし、アングルから推測すると、やはり公式記録用の写真として撮影されたものに相違なく、案の定、これらの写真が後日中央競馬会によって撮られたことが判明した。

 まだカメラが一般的に高価な時代である。のみならず、レンズ交換のできる一眼レフなどは、おそらくそれを生業としている人でなければ簡単に手に入れられなかったものと思われる。

 まして競馬。よほどの物好きでなければ競馬場に赴いて返し馬やレース、口取りなどを撮影するような人はいない。シンザンの写真はしたがってJRAを除けばほとんど新聞社などのマスコミ関係者しか撮っていないはずなのである。

 今思えば、当時(昭和39年〜40年)は、おそらくフィルムも機材も比較にならないくらいに素朴な性能だったはずで、競馬のように全速で馬が疾走する場面を撮ることは容易ではなかったに違いない。

 動く被写体を追いかけ、ピントを合わせながら一枚ずつシャッターを切る作業は、神業のごとき技術が必要だったはずだ。展開によってはシンザン最後のレースとなった有馬記念のように、直線を向いてから大外どころかほとんど外埒沿いを走ってくるようなレースもあったわけで、さぞ大変な苦労があったものと推測される。

 やや辛口になるが、口取りなどはさておき、レース写真は多少ピントが甘いものが多い。だが、これもまた時代背景だと解釈すれば別の感慨も湧いてくる。

 このほどこれらの写真は複写して額に収め、今週末より浦河の優駿ビレッジ「アエル」にて展示の予定である。機会があればぜひご覧いただきたいと思う。概ね展示期間は9月一杯くらいまでを考えている。

 なお、まだ未定だが、秋には大阪でも展示する機会を設けるつもりである。詳しい日程と場所が決定したらまた当欄にてご案内しようと思う。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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