競馬も温故知新

2011年08月04日(木) 12:00

 情報という大海にいると、物事の本質を見失う。新しく未知のものを類推するとき、この言葉をいつも頭に浮かべることにしている。

 故(ふる)きを温(たづ)ねて新しきを知れば、以て師為(た)るべしと。

 つまり、これまでのことを知ってそれをこれからに応用するという生き方、これではないかと思うのだ。

 競馬は、正にこれに該当する。今や当たり前になっているレースの傾向と対策、誰だって知りたがる推理のひとつだ。ただ、これも情報のひとつと考えると、頼りすぎるのも問題となる。いつも述べていることだが、とにかくレースは生き物だから、そう簡単に考えたとおりにはならないのだ。あくまでも推理のひとつの材料にすぎないとしっかり捉えておくべきだろう。

 競馬の本質とはどういうものなのか、これに尽きるのである。

 今話題になっているWIN5、二億円という高額配当に心奪われるのだが、ここまでのところ、競馬って意外に堅いのではないかと思っている向きが多いのではないか。

 購入できなくとも、一応は予想をしてみると、それであっても微妙に外すのだからどうしようもない。だいいち、たったひとレースの検討に四苦八苦するのだから、まとめて5レースも勝ち馬を当てるのは難しいのが当たり前なのだが、人間は困った生き物である。

 庶民が元気だった江戸時代には、賞金千両の富くじに人々が殺到していた。大ブームになった折、富くじ一枚が一分だったのを半額の二朱にしたそうだが、それでもこれは高級ホテル一泊分くらいに相当していた。発行枚数が通常一〜三万枚で、大きい富くじの場合は十五万枚もあったというから、人気ぶりがわかる。ただ、高額すぎるので、一枚を数名で買う割り札が出てきたというから、これも庶民の知恵。これは、現代にも受け継がれている。人間の本質に変化はない。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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