名馬の相次ぐ訃報

2011年10月12日(水) 18:00

 去る10月4日(火)、無敗の三冠馬として一世を風靡したシンボリルドルフが30年の生涯を閉じた。昨年秋、JCの日に東京競馬場に元気な姿を現しパドックでファンにお披露目した際、ご覧になった方も大勢おられるだろう。

 写真で見る限り、29歳にしては若々しく、体の線もそれほど衰えているようには思えなかったのだが、29歳もまた相当な高齢である。あるいは目に見えない部分にさまざまな病巣があったのかも知れない。ともあれ偉大な馬が逝ってしまった。改めて哀悼の意を表す。

 シンボリルドルフは、1981年にシンボリ牧場にて生まれた。父パーソロン、母スイートルナ。競走成績は、16戦13勝2着1回3着1回というほぼパーフェクトなもの。唯一の着外は生涯最後のレースとなったアメリカ遠征で、サンルイレイSの6着に敗退した時のみ。この時、左前肢繋靭帯炎を発症したとされている。

 種牡馬入りは1987年。折から日本はバブル景気により生産地も今では考えられないほど活気に満ちあふれていた。

 ルドルフは50株×2000万円=10億円という大型シンジケートが組まれ、多くの期待を集めて種牡馬となった。当時はまだ種牡馬の交配頭数が厳密に制限されていた時代で、基本的にはシンジケート会員以外は配合することが困難であった。唯一、余勢株(シンジケート株以外の外部に売り出される種付け権利、ただし数は少ない)を入手するか、さもなくば会員が所有する権利を譲渡してもらうかしか方法がなかった。

 そんな事情から、種付け権利の売買も活発に行われていた時代で、「ノミネーションセール」と称する種牡馬の種付け権利株専用のせりが開催されていたのもこの頃だ。
ルドルフの株も当然高かった。バブル絶頂の時代(1990年)、初産駒のデビュー前でありながら1332万円(税抜き)などという落札価格で取引された記録が残っている。産駒の価格ではなく種付け権利が、である。

シンボリルドルフ(2011年6月撮影)

シンボリルドルフ(2011年6月撮影)

 産駒の競馬デビューは1990年。いきなりトウカイテイオーが出てきて2冠馬となり、シンボリルドルフはこの上ない好スタートを切る。

 2年目の産駒からもキョウワホウセキ、アイルトンシンボリなどが出る。産駒の活躍により、リーディングサイアーランキングもどんどん上がり、1994年には6位まで上昇することになった。

 しかし、これがルドルフの生涯で最高位となる。95年以降、順位は徐々に下がり、10傑に入ることができないまま、2004年、ついに種牡馬を引退する。

 1994年といえば、かのサンデーサイレンスが初産駒をデビューさせた年だ。いきなりこの年だけでサンデー産駒は半年間に30勝(うち重賞4勝)をマークし、俄然注目を集めることとなった。

 翌95年以降のサンデー産駒の活躍ぶりについては今更ここで触れるまでもなかろう。2007年までの実に13年間にわたりサンデーサイレンスはトップの座に君臨し続けることになる。

 サンデーサイレンスは生産地においても革命をもたらした。“性豪”とも称されたほどのタフなこの馬は、いとも簡単に年間配合頭数を3ケタに乗せ、2001年には実に223頭もの牝馬の「お相手」を務めるに至る。

 一方のルドルフは、今にして思えば、当時の日高における常識的な配合頭数を最期まで守っていた種牡馬であったと言えよう。1998年の70頭がルドルフの最多配合頭数である。概ね60頭前後を生涯堅持しており、日高で繋養されている種牡馬(とりわけシンジケート所有馬)にとってはこれがあくまで“基本”でもあった。

 種牡馬生活から引退するのは2004年。ルドルフが23歳の時のことである。それ以後は日高町のシンボリ牧場で余生を送り、冬季間の寒さを避けるため昨年1月から千葉に移動し過ごしていた。

 死因は不明だが、30歳という年齢はかなりの高齢でもある。天寿を全うしたという言葉しか浮かばない。

 ところでルドルフ死去のニュースが大々的に報じられた3日後、今度はサッカーボーイの訃報が伝えられてきた。こちらは26歳とまだ若かったが、持病の蹄葉炎が悪化し、繋養先の社台スタリオンステーションで息を引き取ったという。

 現役時代にマイルから2000mまでの距離で無類の強さを発揮し、マイルチャンピオンシップなどを制して11戦6勝の成績を残した。

サッカーボーイ(2007年8月撮影)

サッカーボーイ(2007年8月撮影)

 1990年より種牡馬入りし、これまでGI馬4頭を輩出している。むしろ種牡馬としての実績はルドルフを上回っていたとも言えよう。血統登録馬はルドルフの698頭に対しサッカーボーイが1078頭。出走馬もルドルフ595頭、サッカーボーイ920頭。そもそも分母が異なるので単純な数字の比較は難しいところだが、ルドルフ産駒は356頭が1201勝(うち重賞21勝)なのに対し、サッカーボーイ産駒は507頭で1708勝、重賞も43勝に達する。

 産駒の総獲得賞金はルドルフが82億543万円(10月10日現在)。だが、サッカーボーイは107億5896万円。ただし出走馬1頭あたりの獲得賞金を数値化したEIはルドルフの方がやや勝っている。

 ところで自身は中距離のスペシャリストとして活躍していながら、サッカーボーイの産駒は長距離において好成績を収める例が多かったのも大きな特徴だ。ナリタトップロードやヒシミラクルなど、懐かしい名前が浮かぶ。

 サッカーボーイは現役時代に3歳クラシックとは縁がなかったことから、どうしても脇役のイメージがつきまとう馬だったが、種牡馬になってからの素晴らしい実績は、同期のオグリキャップやスーパークリーク、ヤエノムテキ、サクラチヨノオーなどの成績を大きく上回るものだ。

 ともあれ、2頭の冥福を祈りたい。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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