幸運の女神にはうしろ髪はない

2011年10月20日(木) 12:00

 幸運の女神は、やって来たそのときに前髪をつかまないといけない。幸運の女神にはうしろ髪はないという諺が西洋にある。いつも幸運の女神のうしろ髪ばかり見てはいないだろうか。若いとき、そんな思いに取りつかれていたことがあった。だから、チャンスが巡ってきたと感じたら、何としてもものにしなければと言い聞かせていた。

 そのうち、運も実力のうちと思うようになり、チャンスが巡ってきたときにそれを生かすには、日ごろの在り方がものを言うのだと確信できるようになっていた。そう、運も実力のうち、それなりの努力を重ねていないとその運もやってこない。幸運の女神の姿すら見ることはかなわないのだ。

 競馬では、ひらめきがこれに近い存在に見える。ひらめきがあるかないか、それはその日の勝敗を左右するように思える。確たる論理が存在するものではないのだから、いくつかある道すじのうちどれを選択するかは、正にひらめきによるしかない。ただ、いくつかの勝利への道すじがあることを知っていないとどうしようもない。そこに、日ごろ培っているものがあるかどうか、器量しだいなのだ。

 それこそ、五感のすべてを駆使してひらめきを呼び寄せられるかどうか。

 今年は大震災に日本中が心を痛めた年、全ての人の願いは、復興、復活。このひらめきがあったら、秋華賞は胸を張ってアヴェンチュラだった。骨折で春を全休したが、夏以降一気に姿をあらわし、世代の女王へ一直線だった。考えてみれば、春は、桜花賞もオークスも大波乱だったのだ。そこからも、秋のテーマは見えていた。

 そして、騎乗の機会を得た岩田騎手は、それこそ幸運の女神の前髪をしっかりつかんだのだった。日ごろ培っていた器量がそうさせたのだとは思えないだろうか。

 さて、この次には、どんなストーリーにひらめきを覚えるのか、楽しみではある。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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