2011年11月09日(水) 12:00 8
先週末はたくさんのヨーロッパ調教馬がケンタッキーに赴きレースに出走したが、今週末は昨年と今年の英国オークス馬が京都競馬場に登場する。
過去最高の顔触れが揃ったと言われるエリザベス女王杯。昨年に続く連覇を狙って再来日したのが、昨年の英オークス馬スノウフェアリーだ。
昨年はエリザベス女王杯の後、そのまま香港に移動し、G1香港Cも制した同馬。ニューマーケットの自厩舎に戻り、激戦の疲れをとった後、G1シーマクラシックから始動すべく乗り始め、3月に入るとドバイに渡った。
ところが、メイダン競馬場で行った1週前追い切りの後に歩様が乱れ、獣医師の診断を仰いだ結果、右前脚管骨に炎症を起こしていることが判明して、シーマクラシック出走を断念。帰国して治療を行い、当初はロイヤルアスコットで復帰の青写真を描いていたが、やや調整が遅れて、4歳初戦は7月までずれ込むことになった。
ほぼ7か月振りの実戦となったG1エクリプスSは、勝ったソーユーシンクに10馬身近い遅れをとる4着。続く牝馬限定G1ナッソーSでは、実力馬ミッデイの2着に食い込んで、字面だけ見るとまずまずの成績を収めたが、追われてから反応が鈍く、本来の姿には戻っていない印象があった。
その後、ヨークのG1ヨークシャーオークスを目指すも、馬場悪化で回避。矛先をドーヴィルの牝馬限定G1ジャンロマネ賞に向けるも、「当該競走から遡ること8日以内に、他競走の出走を取り消した馬は、出馬登録を行えない」という、フランスギャロの規定に抵触(詳しくは、8月24日付けの当コラムをご参照ください)。調子が上がって来たのに出走出来ないという、フラストレーションが溜まる事態となった。
今季のスノウフェアリーがようやく「らしい」競馬を見せたのが、G1愛チャンピオンSだ。「ジャンロマネ賞に比べると格段に相手が強い」と、管理調教師E・ダンロップ師はレース前「泣き」が入っていたのだが、10F路線の最強馬ソーユーシンクと真っ向からぶつかり合い、わずか半馬身及ばぬ2着となった。同じ2着でも、ナッソーSとは内容がまるで違う2着で、この馬の能力の高さを再認識することになった。
愛チャンピオンSの後は、「あと1回、どこか使って日本へ」と語っていたダンロップ師だったが、実際は2回使うことになった。
「馬場が悪くなければ、ここを使う」と言っていたのが凱旋門賞で、ご承知のようにレース史上でも稀なパンパン馬場になったためエントリーし、結果はデインドリームの3着。差し馬には不利な展開になった中、よく頑張ったと言える内容だった。
これをもって今季の欧州におけるキャンペーンは終了かと思いきや、なんと中1週となるアスコットのG1チャンピオンSにエントリー。
チャンピオンSは、「第1回ブリティッシュ・チャンピオンズデー」のメイン競走として催された一戦だ。英国の競馬人はこぞって、英国版のブリーダーズCとして創設された新たなイベントを成功させたいと願い、良い馬を集めるべくトップホースはなるべくここを使うべしとの気運が高まっていたから、スノウフェアリーもそんな流れに乗らざるをえなかったのであろう。
結果は、よく追い込んだもののまたも3着。直線の勝負どころで前が詰まる局面があり、アンラッキーな敗戦だったが、敗れた相手は牡馬の超一線級2頭だったし、ナッソーSでは2馬身負けたミッデイにここでは2馬身先着しているから、強さは充分に見せた一戦だったと言えよう。
ということで、エリザベス女王杯は、スノウフェアリーにとって今季6戦目となる。昨年も、エリザベス女王杯はシーズンの6戦目だったが、5月から使っていた昨年に比べると、7月から使い始めて5戦を消化した今年は、きついローテーションをこなして来ていることは確かである。
スノウフェアリーに関する懸念は、ここにあろう。凱旋門賞からチャンピオンSと、中1週で牡馬を相手に2戦を消化。しかも、いずれもレースレコードで決着したハイレベルの戦いだったから、ここでの消耗を引きずってはいないか、状態を充分に見極める必要がありそうだ。
スノウフェアリーはダンシングレインとともに、29日(土曜日)にニューマーケットを出発。まず向かったのはアムステルダムで、ここで一泊した後、日本行きのフライトに乗った。ここまでは昨年と全く同じルートだが、昨年はアムステルダムから成田に飛んだ便がイタリアのミラノでワンストップしたのに対し、今年は成田への直行だったから、輸送の負担は昨年よりも軽かったはずである。
スノウフェアリーと一緒に来日したダンシングレインは、今年の英オークス馬である。
オークスへ向けた前哨戦の1つ、LRフィリーズトライアルSで2着となって、英オークスへの切符を手にした同馬。この時の勝ち馬イジートップが、英オークスでも3着に入っているから、前哨戦の中でも水準が高かったことがわかるが、それはあくまでも結果論で、当時そのように見たファンは少なく、オークスではイジートップが26倍の9番人気、ダンシングレインが21倍の7番人気と、ともに低評価だった。
前哨戦で負けたダンシングレインが勝ったイジートップよりも上位人気になったのは、後に詳しく述べるが、この馬が持つ血統的魅力が買われたのであろう。
典型的な逃げ馬がおらず、この馬が押し出されるように先頭に立ったが、ペースは超の字が3つぐらい付きそうなスローとなった。
当然のことながら、ダンシングレインは楽に行っていたのだが、前述したような人気薄だったため、後続はバカにして誰も捕まえに行かず、あれよあれよと言う間に逃げ切ってしまったのである。
そういう競馬であったゆえ、勝ちタイムは、同じ日に同じ競馬場の同じコースで行われた古馬のG1コロネーションCより4.55秒も遅い2分41秒73。1990年以降、オークスの勝ちタイムが2分40秒を超えたのはこれが5回目だったが、過去の4回はいずれも道悪で、Goodのコンディションにおけるこの時計は、極めて遅いものだった。
すなわち、英オークス終了時におけるダンシングレインの評価は、あまり高くなかったというのが実情である。
案の定と言うべきか。42500ユーロの追加登録料を払って出走した愛オークスは、「この程度であろうな」という競馬で、5着に敗れている。
その後、ダンシシングレインはドイツに遠征し、デュッセルドルフで行われたG1独オークスに優勝。これも結果論になるが、その後ドイツの3歳牝馬デインドリームが凱旋門賞を圧勝するのだから、この勝利ももう少し高く評価すべきだったかもしれないのだが、ここも単騎で楽に逃げての優勝だったため、英独オークス連覇という肩書ほどには、ダンシングレインの評価は上がらなかったのである。
従って、10月15日にアスコットで行われたG2ブリティッシュ・チャンピオンズ・フィリーズ&メアズSでは、出走10頭中、この馬が唯一のG1勝ち馬であったにも関わらず、人気は単勝7倍の3番人気に甘んじた。
ダンシングレインの評価を一変させることになったのが、このレースだった。ここでも彼女は逃げたのだが、平均以上のペースで馬群を引っ張り、後続がなし崩しに脚を使わされた一方、彼女自身の脚色は最後まで衰えず、2馬身差の完勝を演じたのである。まさにライバルを力でねじ伏せる内容で、能力が高くなければ出来ない競馬であった。
ドイツオークスの時点では既に、秋は日本へと、管理するウィリアム・ハガス調教師は公言していた。前年の英国オークス馬スノウフェアリーの好走を目の当たりにしていたこともあるが、エリザベス女王杯の3着馬までに用意されている褒賞金も魅力だったはずだ。
前述したように、本馬の血統は実にゴージャスだ。おじに、デューハーストS,英ダービー、チャンピオンSという、G1中のG1を3つ勝ったドクターデヴィアスがいる他、姉スモラの仔に、今季の戦績5戦5勝、G1モイグレアスタッドSを含めて3重賞を制し、来季の千ギニーの本命に挙げられているメイビー(牝2、父ガリレオ)がいるのである。
更に、おじに日本で走り高松宮杯を制した後、豪州で種牡馬として成功したシンコウキング、いとこに、やはり日本で走り、高松宮記念を制したスズカフェニックスがいるという血統なのである。従って牝系からは、日本で激走するDNAを受け継いでいると言えそうだ。
ただし、ダンシングレインの父デインヒルダンサーは、日本の競馬との相性は芳しくない種牡馬である。欧州においても渋った馬場を得意とする産駒が多いのだ。父の影響を強く受けていると、日本の軽い馬場への適性は低いと見ざるを得ない。
逆に今週末の京都が道悪になれば、この馬のアタマも充分に考えられると見ている。
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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。