明と暗との分かれ道

2011年11月17日(木) 12:00

 正念場だという局面、そこをどうしのぐかで明と暗とが分かれる。ここで目の色を変え、すさまじいと思わせる集中力を発揮したものに栄光がおとずれるのだ。

 同じことは人生にもいえる。一生のうち何度かは正念場を迎える筈だ。そこでしっかり踏んばれたものに光明が差し、大きく展望が開けるのだが、多くは、中途半端で終わって一生その挫折を引きずって生きていくことになると言ってしまえば、あまりにも残酷なのだが、大丈夫だという保障はない。

 だから、やめてはいけないところでやめてしまう人間は、なんでも中途半端で終わるものだと孟子が述べた言葉が、今の世の中にも立派に息づいているのだ。

 已(や)むべからざるに於(お)いて已(や)むる者は、已(や)まざる所なしと。

 やめてはいけないところ、つまり人生の正念場をどう乗りこえるか、その山を乗り越えたときに、ひとつ大きな心境にひたることができ、人間の器もひとまわり大きくなるのだと思う。

 明と暗との分かれ道は、この秋のGI戦でもはっきり見せてくれている。だが、こと競馬に限っては、その明の部分をわがこととして、そこから力をもらうのが一番だ。

 外国馬として日本のGI戦を初めて連覇したスノーフェアリーのゴール前の凄まじい差し脚、集中力以外の何ものでもなかった。史上7頭目の三冠馬オルフェーヴルの場合は、パートナー池添騎手の踏んばり切れた精神力に見るべきものがあった。トーセンジョーダンの秋の天皇賞は、持てる底力を引き出したイタリアのニコラ・ピンナ騎手のここ一番の腕が光っていた。198日ぶりの実戦で南部杯を勝ったトランセンド、骨折で春全休の無念を晴らした秋華賞馬アヴェンチュラは、ここ一番の正念場に向けて凄まじいまでの集中力を発揮した陣営の勝利だった。どれが今の自分に必要であろうか。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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