恕の精神

2011年11月24日(木) 12:00

 自分が他人から受けたくないことは、他人にはしないことと、孔子先生は述べている。これは弟子の一人が、生涯行うべきことを一言で表せるだろうかと質問したのに対し、「其れ恕か」と答えた記述に出てくる。

 恕とは、おもいやりとか同情心のことだが、今の世の中、この恕の影が薄くなっているなと感じていたところに、今年は東日本大震災があった。どの人の思いも、等しく、被災された方々に向けられた。これは正しく恕のこころなのだが、では普段はどうなのかという疑念は晴れたのかと言うと、そうではないように思える、残念だが。

 これは、身近な、身の回りの日常にあって感じていることだ。

 勝ち負けのはっきりしている競馬は、どんなときも明暗がくっきり浮かび上がってくる。それに賭ける側にも明暗があるが、こちらはそれを承知で好きでやっているのだから、文句が言えるすじでもない。なのに人間は意気地がないから、どこかで他人のせいにしてしまうようなところがある。漠然と何かにあたり散らすぐらいなら可愛いいが、その対象が個人になると見苦しい。そんな愚痴は聞きたくない。それが逆の立場だったら、考えてほしいのだ。

 例えばそれが騎乗者に向けられることがある。放送席にいるときは、なるべくそうならないように気をつけているのだが、どう仕様もなく耳に入ってくることがある。それも、人の尊厳にかかわることで、体力の衰えという触れてはいけないところに口を出しているのだ。恕の精神があれば、人間なら誰しもが通る体力の衰えという事実を、どんな言い方で補ったらいいか考えるべきで、それが出来るか出来ないかでその人間の価値が決まるのだと思う。

 競馬は分かりやすく人の心を映し出すから、気をつけなければならない。また、だからこそ、人生のいい勉強になるとも言える。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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