2011年11月30日(水) 18:00
今年、HBA日高軽種馬農協は、創立50周年を迎えた。先ごろ、組合員に「創立50周年記念誌、優駿のふるさと日高」と題する冊子が送られてきた。A4判137頁。本編に続き、巻末には資料編を付している。
1961年(昭和36年)当時、日高管内における軽種馬生産頭数は、サラ系646頭、アラ系754頭の計1400頭に過ぎず、我が国全体でも両方合わせて3000頭に満たない時代であった。それ以後、高度経済成長の波に後押しされるように競馬が年々拡大発展を遂げて行ったのは周知の通り。
競馬人気はやがてハイセイコーの出現によって頂点に達することになった。それに伴い、日高管内の軽種馬生産頭数も年を追うごとに増え続けた。
「創立50周年記念誌、優駿のふるさと日高」
最初のピークが訪れたのは1974年(昭和49年)で、この年、サラ系とアラ系を合わせ、我が国の軽種馬生産頭数は初めて1万頭の大台を突破した。
設立当初、796人であった組合員数も、軽種馬生産頭数の増加とともに年々増え続け、1974年には1935人に達する勢いであった。
その後、組合員数は徐々に減少に転じ、2001年(平成13年)には1285人、そして2010年(平成22年)には888人と、50年前の組合設立当時に近づきつつある。その要因となっているのは、長引く不況であり、競馬における相対的な日高産馬の成績不振であろう。
現在888人いる組合員の中にも、今年、生産馬のいない組合員が目に付く。例えばこの日高東部に限ってみると、以下のような状況だ。
◆えりも→組合員5 生産戸数5 ◆様似→組合員29 生産戸数19 ◆浦河→組合員134 生産戸数114 ◆荻伏→組合員78 生産戸数68
組合員数は、50周年記念誌の巻末に記載されている2011年1月1日現在のもの。一方、生産戸数は日高軽種馬農協が発行している「2011年生産、軽種馬当歳馬名簿」から拾ったものである。
888人の中でも、すでに生産を休止、廃業している組合員が決して少数ではないことがこの数字からも窺える。
むしろ、安定した経営内容で、後継者のいる「健全経営」の牧場をリストアップして行く方が手っ取り早いかも知れない。ここ10年間で組合員はちょうど3分の2になった。それが今後10年間でどこまで減少して行くものか。
おそらく昨今の情勢から考えて、今後は競馬が急激に人気をV字回復できるとも思えず、当面は良くて現状維持がようやくであろう。だとすれば、年々減少し続ける日高管内の生産頭数と組合員数も、どれだけ踏みとどめられるかという問題になってくる。
おそらく、個人で生産を続けるには今後相当な困難を伴う時代になって行くはずだ。地域で核となる牧場を中心に、どこまで整理再編できるかが日高の将来を左右するだろう。
もちろん、あえてその道を選択せずに、小規模でも「オンリーワン」を目指す牧場があってもいいとは思う。しかし、それには限度がある。
共同化、協業化は、これまで日高に馴染まない思想であった。お互いが鎬を削り、切磋琢磨し合いながら発展してきた地域であったからだ。
だが、もう個人の力では無理だと多くの牧場が実感している。我慢比べも、もう限界になりつつある。
来る2021年には、どんな「60年史」が発刊されることになるだろうか。
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田中哲実
岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。