老子の言葉に見る競馬道の真理

2011年12月01日(木) 12:00

 こんな言葉がある。「人を知る者は智、自らを知る者は明」と。さらにつけ加えれば「人に勝つ者は力有り、自らに勝つ者は強し」とも。ちょっと分かりにくいかもしれないが、他者に勝つには力さえあればよく、その力は腕力であり智力なのだが、それは真の強さではない。本当の強さは、自分自身に勝つことなのだと言っているのだ。

 自分自身に勝つとは、そこにある欲望を克服するとか、自分の弱さに負けない、自分の自信に溺れない、つまり自分に勝つことであり、それこそが真の強者なのだと教えている。

 人をよく知るのが智者、自分をよく分析して自分自身のことを明らかに知ることができるのが明者、智者であるより明者であれと言うのである。

 自分のことを知ることができるから、自分に勝つことができるとも言い換えられるが、力ずくでなく、真の強さをもとめることで身につくものがどれほど大きいか。そして、その強さの中には、自分にふさわしい在り方もあるのではないか。

 とにかく、「自ら勝つ者は強し」という老子の考え方は不滅で、永遠に生き続けているのだ。ならば、この真理を競馬の中に見出してみるのも興味深いではないか。

 レースに騎乗して戦う騎手の心持ちにも、ある種通じるだろうが、むしろこれは、見る側私どもの問題の方が大きい。その時々の自分の心の変化をどう知って、どう克服するか、つまり自分に勝つことで他がよく見えてくるはずではないか。

 自分に負けることは、競馬の場合、正にそこに生じる欲望に負けることであり、自分を失うこと。まとまりなくバタバタと手を出すだけの、なんとも情無い姿になっているのだ。

 競馬こそ、自らに勝たなければならないもので、これは時折身にしみていることではないか。競馬を競馬道としてとらえれば、「自らに勝つ」修行をしているようなもので、なかなか興味深いと思うべし。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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