2011年12月08日(木) 12:00
何事も、古き世のみぞ慕わしき、今様はむげにいやしくこそなりゆくめれと古典の徒然草では述べられている。どんな事でも、古い時代ばかりが慕わしいとはどういうことだろう。また、当世風はやたらに卑賤(ひせん)になって行くようだとは。
今様を非難する風潮は現代にも生き続けている。様変わりを望まない人の情は、いつの世でもあり、どう仕様もないことだろう。古き時代の良きものまで変えてしまうことへの抵抗、もしかしたらこっちの方が良識というケースの方が多いのかもしれない。それだけ古き良きものへの認識が深いからそうなっていると考えるべきだ。
当世風がやたらに卑賤になっていくという言い様からはっきり分かる。
その良きものを確認する心の在り方、それに応えているのが博物館や美術館ではないか。いつ訪れても、必ず人の姿がある。
東京競馬場の東門寄りの一角にあるJRA競馬博物館に行ったことがあるだろうか。展示物に目を凝らす若い人を見ると、何故か安堵するのだ。
ここにはメモリアルホールがあり、顕彰馬や顕彰者の功績を称え、後世に伝える為に、それぞれのプロフィール、肖像画、馬像、関係資料などが展示されている。いわゆる競馬の殿堂なのだが、ここにいると時が止まったような不思議な感覚になるのだ。
福島からやってク来た友人が、その当時の自分が甦ると言っていた。その友人と話をしていて感じたことがある。過去は思い出として残るが、その思い出は、時の経過とともに変化しているのだ。それは心の成長なのかもしれないと。ただ単に過去の思い出に浸るだけでなく、この自分の心の変化を確認するために訪れる博物館、それも、興味のある競馬であれば、その効果は絶大だ。未来につながる芽や兆しは現在のなかにあると言う。ならば今の自分を確認する意味は大きい。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。