2011年12月15日(木) 12:00
人から学んだ戦術は、いざというとき応用が利かぬ、従って、自ら考えるべきだと、テレビドラマ「坂の上の雲」を見ていたらこんな台詞が耳にとび込んできた。舞台は日露戦争、戦で式を指揮をとる指揮官はいかにあるべきはを述べているのだが、併せて、実際に現場に立って判断は下すべきだとも強調していた。何かと参考になる言葉ではないか。
ところが、競馬場にあってこのような思考には、全くと言っていいほどなっていないのではないか。だいいち、自分なりの戦術なんて持ち合わせていないし、そんな必要性もない。あるのは、勘だけ。大変申し訳ないのだが、これが現実。これでいいのかと思わないこともないのだが。
競馬とは、案外、浅いところで遊んでいるようなものであり、その先を深く追求しなくていいもののようだ。だから、それでいいのかもしれない。
しかし、実際に現場に立って判断を下すことはしている。現場に行かないことには、頼りにする勘が仂かない。これは、多くの方が実感しているのではないか。
では、競馬に戦術が必要でないかと言うとそうではない。立場を変えると、それなくしては有り得ない。競馬で走らせる側は、様々な対策を持ち合わせている。騎手しかり、調教師しかりだ。それをどれだけ掴んでいるかで、競馬の楽しみ方が違ってくる。だから、自分なりの戦術はなくとも、心得のようなものは持っていることになる。
この競馬での心得、そう簡単に身につくものではないことは、ちょっと競馬を噛ったものなら直ぐにわかる。長年の経験から得られるものだから、少しずつ積み上げていくしかない。この少しずつ積み上げていくということ、これが実感できたときに、競馬をやっているよろこびがこみ上げてくる筈。自ら考えるとはこのこと、一歩踏み込んだら続けていく、継続は力なりを実感できたら大願は成就する。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。