2012年01月12日(木) 12:00
さあ新しい年と意気込んで、できれば完璧に決めたことをやり通すぞと思ったら大間違い、それは分かっていても、ではどう現実に対処したらいいかとなると知恵がいる。特に競馬を相手にしたときには、それは至難に等しい。だからこそなのだが、ちょっと工夫をしてみたくなった。
完璧に描かずに余白に美しさを見出した赤絵の磁器といえば、佐賀有田の酒井田柿右衛門がいる。その様式は、白を描き、自然の恵みを大切に、石の素顔が見えると称えられてきた。その白の強さと赤絵の強さのバランスがいいから、柿右衛門は素晴らしいのだ。この余白の美、これを競馬に見出せないだろうか。
一日のレースをひとつの器に見立てて、そこにどう絵を描くかを考えてみる。ここに余白の美を取り入れるとはどういうことか。完璧にではなく、ひとつひとつのレースの味わい方に変化をつけてみる。ここはあくまでも正攻法で、ここはちょっと自分の好みの考え方でといった具合に。白を強く描くことで赤絵が際立つということ。どれもこれも同じには対処しないのだ。
時折、気分を変えてみることは、これまでもやってきたが、最初から、一日のレースをどう描こうとまでは考えたことはなかった。
つまり、意識して変化をつけるのだ。どのレースに白を強調し、どのレースに赤を描くかを考えることで。
ついでながら、陶磁器の世界では、純粋なほど味がなく、不純物を味わうという感じ方がある。長い年月をかけて不純物が入ったものを貴いと捉えるから、綺麗と美しいとは違うというのだ。味わいがあるかどうか、そこが大切なのだ。
長い年月、競馬とつき合ってきたことを貴いことと捉える。これはいい。味わい深い人間であるはずだから、余白の美への対処の仕方だって巧みなのである。やってみよう。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。