2012年02月02日(木) 12:00
何にせよ、寒さに耐えたものには凜とした強さが宿る、最近目に触れたこの言葉に心引かれた。寒気のためにこおりつくのはこの身なのだが、これも連日になると、少しは耐える力がついてきたようにも思えるのだ。
これと同じことが競馬にも言える。詩人の寺山修司は、その著作「競馬放浪記」の中でこう記している。
競馬場の伝染病の中でももっとも重いのは言うまでもない。一攫千金を夢見るファンたちの患る「希望という名の病気」なのであると。確かに血気盛んであればそれもそうなのだが、この病いもつき合いが長くなれば、少し心境に変化が生じる。堪え難きを堪え忍び難きを忍ぶうちに、天地がもたらすのは災いだけではないと思えるようになるのだ。
寒があれば暖があるように、やがて陽光を浴びる日も来る。だから目の前の一喜一憂に身をおくのではなく、そのときを凜として待てるようになるのだ。そして、越冬の喜びと響き合うように、ほんの一瞬でも喜びを味わえる。だから、長く競馬とつき合っているのである。
寒さに耐えたものだけが味わえるこの進境こそ、競馬から得られる恵みのように思える。そしてこれは、困難を生き抜く力にもなっていくように思える。人間にとって大切なもの、心、徳、精神、人間性といった目に見えない価値の世界に関して、昔の人は、深くその本質を洞察していた。だから、新しいことをよく見るには、昔の人の考えをたずねる心持ちがあった方がいい。古きを知らなければ今は見えない。その先人たちも、凜とした強さで生き抜くことを説いてきた。
こうした心構えは、情報の海の中にいて物事の本質を見失わない力になっている。競馬場の中にも情報の海があるが、洞察力で泳ぎ切らなければならない。そのためにも、凜とした揺るぎない態度で臨み、競馬の恵みを我が手にしようではないか。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。