イギリスのリチャード・ヒルズ騎手が引退

2012年02月22日(水) 12:00

英国で30年以上にわたってトップジョッキーとして活躍してきたリチャード・ヒルズ(49歳)が、3月末日をもって現役を退くことになった。エージェントのジョン・ロバートソンを通じて19日(日曜日)に発表されたステートメントで明らかになったものだ。

 1963年1月22日生まれのヒルズは、現在49歳。ヒルズ家と言えば有名な競馬一家で、父は調教師として一時代を築いたバリー・ヒルズ。リチャードの双子の兄マイケル・ヒルズもトップジョッキーとして活躍し、長兄のジョン・ヒルズは早くから独立して開業している調教師だ。二人の弟のうち一人が、父のアシスタントを長年務めた後、昨年8月に引退した父の跡を継いで調教師となったチャールズ・ヒルズで、もう一人の弟が、米国ケンタッキーで競走馬保険の仕事に携わるジョージ・ヒルズである。

 こういう一家に生まれ、体が小さかったとあれば、ジョッキーの道を志したのは自然の成り行きだったが、見習い時代にリチャードが師事したのは、当時ランボーンに厩舎を構えていた父ではなく、ニューマーケットをベースしたハリー・トムソン(トム)・ジョーンズ調教師だった。16歳となった1979年に騎手デビュー。同年10月26日、ドンカスター競馬場で行われたレースでボーダードーンという馬に乗り、初勝利を挙げている。初めての重賞制覇は1985年、ジョーンズ厩舎のイリアムで制したG2ヨークシャーCだった。

 言って見れば、騎手人生のスタートにあたり、敢えて「外の釜の飯を食う」道を選んだリチャードだったが、これが後に、騎手リチャード・ヒルズに極めて重要な出会いをもたらすことになった。シャドウェル・スタッドのシェイク・ハムダンがジョーンズ厩舎に馬を預けはじめたことで、ハムダン殿下のブルーの勝負服を着て騎乗する機会を得たのである。徐々に殿下の信頼を勝ち得ていったリチャードは、1990年、ハムダン殿下が所有しジョーンズ調教師が手掛けるアシャルで、ロイヤルアスコットのゴールドCに優勝。自身初めてとなるG1制覇を果たした。

 リチャード・ヒルズ騎手の名が、日本も含めて広く世界に知られるきっかけとなったのが、1994年9月24日、アスコットを舞台とした英国競馬フェスティヴァル開催のメインレースとして行なわれたG1クイーンエリザベス2世Sだ。

 G1サセックスS勝ち馬で、オッズ3倍の1番人気に推されたディスタントビューを筆頭に、ジャックルマロワ賞でサセックスSなどG1・5勝のサイエダティ、仏3歳牝馬2冠に加えてG1ジャックルマロワ賞を制していたイーストオヴザムーン、前年のこのレースを含めてG1・3勝のビッグストーン、愛2000ギニー勝ち馬で後にBCマイルを制するバラシア、愛1000ギニー勝ち馬メサーフ、そして前走ムーラン賞で待望のG1制覇を果たした武豊騎手騎乗のスキーパラダイスなど、極めて豪華な顔触れが揃っていたこのレース。ハムダン殿下は2頭出しで、ファーストカラーを背負っていたのがウィリー・カースン騎乗のメサーフ。リチャード・ヒルズの騎乗馬は、ハムダン殿下のセカンドカラーを背負ったマルーフだった。当時4歳だった同馬は、2歳時にG3ヴィンテージSを制した実績があったものの、重賞勝ちはそれ1つだけ。このメンバーに入ると力不足は明白で、オッズ67倍の最低人気だったマルーフは、追いこむメサーフのための先導役というのが、この一戦で割り振られた役割であった。

 ところが、ファンはもとより、ハムダン殿下ですら予想だにしていなかった結末が待ち受けていたのだ。注文通りに逃げたリチャード・ヒルズとマルーフが、なんと、この豪華メンバーを相手に逃げ切り勝ちを収めたのである。

 これがきっかけとなって、リチャード・ヒルズは1995年から、ハムダン殿下のセカンド・ジョッキーとして正式に契約。この年の春、ハムダン殿下のハライヤーに騎乗して1000ギニーを制し、クラシック初制覇を飾った。

 1997年にウィリー・カースンが引退すると、跡を継いでハムダン殿下のファーストジョッキーに昇格。その後、ブルーの勝負服をまとったリチャード・ヒルズは、イギリスはもとより世界のビッグレースにおける常連となった。

 殿下との縁で、リチャード・ヒルズは英国の平地シーズンがオフになると、ドバイで騎乗するようになり、それが1998年、アルムタワケルに騎乗してのドバイワールドC制覇に結びつくことになった。

 リチャード・ヒルズと言えば、人柄が穏やかで、マスコミの取材にも極めて協力的な人物として知られている。大レースの直前でも、記者の問いかけに立ち止まり、率直なコメントを残してくれるリチャードは、記者たちも心からの敬意を持って接した男だった。

 3月31日にドバイのメイダン競馬場で行われる開催が、騎手として最後の日となるヒルズ。今後はアドバイザーとして、ハムダン殿下の競馬と生産の組織をサポートしていく予定だ。

 また、リチャード・ヒルズの引退によって空席となるハムダン殿下のファーストジョッキーには、シルヴェスタ・デソーサの指名が有力視されている。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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