2012年03月01日(木) 12:00
明日の夜明けを告げるもの、我らをおきて誰があると、石原慎太郎氏はかつて「青年の樹」という歌の詩を書いていた。多感な友よと青年に呼びかけるこの歌は、今では知っている者も少ない。だが、熱い心と意気地は持ち続けてほしいと願う心は変わらない。
時代が変質して自我が弱くなったのはどういう事かと、石原氏は問うている。
かつて、競馬放送でも自我を強く出したことがあった。それはラジオ放送創成の頃のことだ。競馬放送は、まだすすめたくない放送のひとつだと、四大紙のひとつが論じた昭和31年。日本短波放送(現在のラジオNIKKEI)では、日本で初めて長時間の中央競馬実況中継をスタートさせた。日本中央競馬会が発足して2年後である。競馬の近代化、大衆化を図ろうという目標をかかげていた競馬会は、思い切って民間放送局の申し出を受けたのである。
国民一般が競馬をレクリエーションとするゆとりを持っていないという反発の中、放送局側の熱い心と意気地は、一層燃えた。競馬の何たるか、その強い思いは、番組のタイトルコールにあらわれていた。
それはこうである。「世界のスポーツ、キングオブスポーツ、中央競馬実況中継」と。
この後、スポーツテーマ曲が続き、如何にも颯爽と始まっていた。空に伸びる若い樹が希望と夢いっぱいに両手を広げているような番組のオープニング。スタンドの放送席から発する実況アナウンサーのひと声も、この勢いに負けてはいられない。この雰囲気に負けない明るさで声を発する。
それから50年以上の年月が流れて、今日がある。あのときの熱い心と意気地は、今もこの中にあるだろうか。競馬のリード役と突っ走ってきた競馬放送の在り方を、どう捉えたらいいのか。その基本、精神は、何等変わっていない筈だ。ならば今はどうなのかと、当事者は、それぞれの立場で自らに問うては。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。