2012年03月08日(木) 12:00
不思議な魔力で心を酔わせ、その言葉の虜にしてしまうと言えば、まず小説の世界が頭に浮ぶ。作品を読むほどにその作者が生きる同志のように思えてくるのだ。そんな仲間と言える存在が多いに越したことはない。
言葉と言えば、放送にもその力がある筈なのだが、近頃はどうだろう。かつて、ラジオがこんな力を発揮した時代があった。
競馬放送の定番と言えるパドック中継が登場したのは、昭和34年。日本短波放送(現在の日経ラジオ社)が初めて長時間の中央競馬実況中継をスタートさせて3年目のこと。レースとレースの間を埋めるためにひねり出された産物だった。言わば苦肉の策として始められたのだ。日本経済新聞のベテラン記者小堀孝二さんと解説者の大川慶次郎さんが担当、放送の中身は現在とは比べものにならないほど濃かった。
とにかく、出走馬一頭一頭の特徴や状態を伝えることに徹しきっていて、その話の内容は、具体的だった。聴く者は、それによってイメージをふくらませ、自分の選ぶ馬を決めることが出来たのだった。あくまでもパドック中継は勝馬検討の材料を提供する時間という信念がそこにあったのである。
パドックで馬を見ている者にとり、ラジオから流れるこの放送を耳にするのがひとつのスタイルになり、その周辺で短波ラジオを鳴らす者が増えていった。特に、大川さんの歯切れのいい大川節は絶好調、そのひと言で馬の人気が大きく動くほどになり、大川さんがパドック中継で何を言ったが話題になっていったのだ。パドック周辺で鳴らすラジオの音を放送席でマイクが拾い、ハウリングという現象を起こすので、放送でイヤホーンを使ってほしいと呼び掛けたことも多々あった。
パドック中継で大川さんの言葉の虜になった者は、競馬の仲間、競馬の同志となって競馬人気を支える力となっていたのだが、放送の役割について考える材料にしてほしい。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。