牧場経営者、死体遺棄事件

2012年03月14日(水) 18:00

 3月11日午前、苫小牧市内を走行中の乗用車のトランクの中から母子の遺体が発見される事件が発生し、妻子の遺体を自らトランクに乗せたことを自供した新冠町新和の牧場主、中村伸一容疑者(55歳)が逮捕された。

 新冠町新和は、2003年に大水害の発生した厚別川(あっぺつがわ)を海岸線から20キロほど遡ったところに位置する。容疑者の牧場は道道71号線に面しており、敷地内には平屋の小さな住宅や2棟の厩舎、車庫や倉庫などが建ち並んでいる。

 事件から2日後の13日に現場を訪れてみると、牧場構内を取り囲むように規制線が張り巡らされ、10人を越える警察関係者が現場検証していた。昨日までは多くの取材陣が張り付いていたとのことだが、その日はテレビ局が1社のみ。すでに容疑者の身柄は拘束されており、取り調べが少しずつ進んでいるので、それほど緊迫した雰囲気は感じられない。

いまだ規制線が張られている容疑者宅

いまだ規制線が張られている容疑者宅

 ことの発端は、道道向かい側に住む容疑者の実母からの捜索願であったという。4日午前から容疑者と小学校4年の響季(ひびき)君の姿が見えなくなり、実母によって捜索願が出されたのは9日のこと。その2日後の11日午前10時過ぎに、苫小牧市日の出町にて容疑者の乗る乗用車が検問にひっかかり、その場で職務質問した苫小牧署員がトランクの中から容疑者の妻理恵さん(42歳)と響季君の遺体を発見し、逮捕したというのが大まかな流れである。

 さまざまな情報が錯綜しているが、容疑者は今春長らく続けてきた生産を廃業するべく、繁殖牝馬や1歳馬などの処分を進めていたとされており、改めて確認したが、牧場に馬の姿はなかった。

 JBBA発行の「2011年度全国馬名簿」によれば、昨年の生産頭数は8頭。この時点で少なくとも8頭の繁殖牝馬がいたことになり、零細規模とは言えない。L字型に配置された2棟の厩舎は、いずれも結構使い込まれており、昭和時代の建築であろう。その他、倉庫や車庫なども年季が入り、厩舎横の倉庫に至っては屋根に積もった雪の重みで一部が潰れ倒壊寸前であった。

 容疑者一家3人が住んでいた平屋の住宅は、一見、従業員住宅かと見紛うほど狭くて地味な造りである。玄関の左側には響季君が遊んだものだろうか、青と黄色のプラスティック製そりが壁に立てかけてあり、衛星用アンテナやプロパンのガスボンベなども設置されたままだ。つい最近までここで一家が生活していたらしい痕跡が生々しく残っていた。

一家の住居Yは昭和を感じさせる建物

一家の住居は昭和を感じさせる建物

 車庫内にはまだ2トントラック(馬運車)と小型の乗用車が並んで入っていた。またその隣には古びたトラクターも中にあるのが見えた。

 道道を挟んだ向かい側には実母の暮らす二階建ての住宅がある。その横に小パドックがあり、雪の上に点々と馬糞が落ちていた。この小パドックは奥の方が馬道に通じており、そこを上がるとかなり広い放牧地である。見渡したところ10ヘクタール以上はありそうな広さで、牧柵によっていくつかの区画に区切られていた。ただし、道道から直接見ることはできない。

 2棟の厩舎や住宅、倉庫などのある道道の西側は、背後に厚別川が流れておりそれほど広くなく、むしろこの道道向かいの台地上にある放牧地がこの牧場の最も大きな売りだったのかも知れない。

 一部報道によれば、容疑者の牧場はかなりの額の負債を背負っていたとも言われるが、前述したように、今春で廃業するべく馬や農機具、牧草に至るまで処分を進めていたようで、事実、牧場にはもう馬の姿は見えない。しかし、昨秋、この牧場に繁殖牝馬を1頭移動させたというある生産者によれば、「同じオーナーの繁殖牝馬が3〜4頭はいたはず。それらもみんな見境なく一緒に処分してしまったのだろうか」と表情を曇らせる。

 また、地元紙の報道では、理恵夫人と響季君の死亡時期に1週間程度のずれがあるとも伝えられる。もしそれが事実だとすれば、夫人は2月下旬頃に亡くなっていたことになり、それから響季君が亡くなるまでの数日間、容疑者の苦悩はどれほど深いものだったか。そして、2人の遺体をトランクに乗せ、あてもなく車を走らせ発見されるまでの容疑者の足取りも気になる。

 いずれ取り調べが進むにつれ、徐々に真相が明らかになってくるとは思うが、なんとも痛ましい事件であった。ただ、苦境にあえぐ生産地の象徴的な事件として矮小化してしまうのはいかがなものかという気がする。この種の事件は、今の日本ではどの地方のどんな業界であっても起こり得ることだからである。

 どんな業界であれ、個人レベルの小規模経営が成り立ちにくくなっているのは周知のとおりで、不景気はあらゆる業界に及ぶ。今回の新冠の事件はあくまで特殊な例だと考えたい。妻子を殺め、自らも死のうとしたものの死に切れなかったと伝えられるが、トランクに遺体を乗せていたことでやや猟奇性が加わり、世間の注目を集めているだけのことだ。

 容疑者は物静かで控え目な性格だったらしく、よほど思いつめた末の衝動的な犯行だとは思うが、何ともやり切れない。ともあれ、続報を待ちたい。

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田中哲実

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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