2012年03月15日(木) 12:00
玉虫色の解決、このごろこの手がよく使われる。利害が対立する者同士が問題にケリをつけるとき、こぎつける結論は、双方の顔が立つようにしなければならない。そこで、ふた通りに解釈できる表現を作る。その代表的な物言いが「慎重かつ適性に決定する」だ。
これなら、片方は前に進む糸口をつかんだと考えられるし、片方は歯止めができたと考えられる。双方とも、なんとなくうまくいったのではないかと引き下がれるのだ。
競馬では、この玉虫色の解決はあり得ないことは分かっている。それでも、これに近いことはある。
その昔、ラジオのレギュラー中継が始まって間もない昭和30年代前半、まだ勝馬検討という言葉を使うことが憚られていた。そこで登場したのが「座談会」で、3人の調教師さんが司会進行の問いかけに答えるというものだった。テーマは当然のことながら勝馬を探るなのだが、調教師さんにしてみれば、他人の管理する馬についてあれこれ述べるのは気が引けるもの。同じ仲間という意識が強いから、玉虫色の物言いになっていた。
これではリスナーは満足しない。やがて、解説者と記者に登場してもらうコーナーに移行していった。第三者同士だから、その発言は自在。思ったことをズバリ言う語り口に人気が集まった。こうして人気解説者がラジオに出現することになったのだが、求められているものはそのレースの馬券の買い方だから、少しずつエスカレートして、馬券予想合戦花ざかりになっていったのである。
そこで登場したのが、玉虫色の物言い。放送はその名のごとく送りっ放し、言葉は空中に飛んでいく。どちらとも受け止められる言葉の使い方に、段々と磨きがかかっていき、受け取る側の都合に合う、どちらとも取れる言い方が増えてきたということなのである。それだけ、競馬放送は成熟したのだが、そこは慎重かつ適性に判断していただきたい。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。