2012年05月12日(土) 12:00 13
2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生した。相馬中村神社がある福島県相馬市は震度6弱の激しい揺れに襲われ、社務をするため筆を手にしていた禰宜の田代麻紗美さんは、揺れがおさまるとすぐに境内の見回りに出た。
「燈籠が倒れて子供たちが下敷きになったりしていないか…といったことが、まず最初に点検しなくてはいけないことなんです。それから馬たちがいる厩舎が倒れてないか確認するなどして、2時間ほどここにいました」
夕刻、NPO法人「馬とあゆむSOMA」でともに活動する中野美夏さんと一緒に、中野さんの家がある南相馬市鹿島区の海老という海沿いの地区に行き、愕然とした。中野さんの家は津波にさらわれ、元競走馬のマイネルヘルシャーを含む、飼っていた2頭の馬もいなくなっていた。テレビなどを見る余裕がなかったので情報が入ってこず、彼女たちはこのとき初めて一帯が大津波に襲われたことを知った。
相馬市の沿岸地域
翌朝、田代さんは、元競走馬が多く繋養されている柏崎地区を仲間たちと馬運車で訪ねた。相馬中村神社から南東に5kmほど行ったところだ。
「私がお世話になった厩舎も、その地域にあったんです。そこの馬たちは瓦礫やヘドロのなかに埋まっていたのですが、生きていたんです。周辺にはまだご遺体もたくさんあって、人の生死も確認できていないのに馬を助けるのはどうかという葛藤もあったのですが、生きていることに変わりはない、救える命があるのなら救いたい、と動き出しました」
まだ大津波警報が解除されないなか、彼女たちは、海辺の松並木まで津波が見えたら避難するという条件で先に進む許可を消防団から得て、重機とチェーンソーで流木などをかき分け、馬たちのもとへ向かった。
「津波で道路沿いまで流されていた馬も何頭もいました。馬って『ぼくはもうダメだよ』と諦めてしまうのが、ほかの動物よりすごく早いような気がするんです。低体温症になって『このまま死んでもいい』と気持ちが弱くなっている馬たちに毛布をかけ、彼らが踏んでも脚が埋まらないよう畳などで道をつくって、一頭目を瓦礫のなかから出すことができたのがお昼過ぎでした。その日連れ出した馬のなかには、元競走馬のオバマシチーという大きな芦毛馬もいました」
救い出した馬たちを馬運車で相馬中村神社まで運び、馬体を洗って、怪我の手当てをし、抗生物質を投与するなどしているうちに夜になった。その日、3月12日だけで20頭ほどの馬を海辺から助け出した。もともと神社の厩舎に入っていた馬たちを広い放牧地に出して、空いた馬房に被災馬を入れて休ませた。
「守らなくてはいけない、という本能」
「馬たちを救おうとしたのは、私にとっては本能のようなものだと思います。守らなくてはいけない、という本能。助けた馬がまた野馬追で活躍してくれたら、千余年の伝統はつながるわけですから。私たちにとって、馬たちは、一緒にお祭りを支えてきたパートナーなんです。私が神社を継ぐことを決心したのは、この震災があるためだったのかなと、あとになって考えたこともありました。女性が継ぐということに関しては父も不安だったと思います。私も不安だったのですが、この震災のなかで、自分だからこういう役割ができたのかと思う部分もあって、今後いろいろな困難があっても大丈夫じゃないかな、と思えるようになりました。その陰には、助けた馬たちがどんどん元気になってくれた、ということもあって…。馬たちには支えられましたね」
飼い主が血統登録書を置いてきたり流されてしまったケースがほとんどだったので、フレーメンをよくするなどの癖や、爪の形や治療痕などを細かく把握している装蹄師に見てもらうなどしながら、馬の個体識別を進めた。
マイネルアムンゼン
2003年と04年にエプソムCを連覇するなど活躍したマイネルアムンゼンに関しても、これまで何度か本稿で触れてきた。去年の野馬追の3日目、津波で亡くなった侍の弔いが行われた。その侍は成人式を終えたばかりの、蒔田匠馬(しょうま)君という若武者だった。匠馬君の遺影を抱いてそこにいた父親の蒔田保夫さんと話して、保夫さんが数年前、アムンゼンに乗って野馬追に参加したことを知った。その後私は保夫さんと何度か会い、取材対象ではあるが、今は友人だと思うようになった(彼もそう思ってくれていると思う)。匠馬君に関しては、また稿をあらためたいと思う。
アムンゼンは今、田代麻紗美さんに「アムちゃん」と呼ばれて大切にされている。
トウショウモード
かくして今、「モーちゃん」ことトウショウモードがマイネルアムンゼンの近くの馬房にいて、野馬追に出る準備をしている。これも何かの縁なのだろう。
同様に、所有者が被災したためここにいる馬のなかには、01年の帝王賞などを勝ったマキバスナイパー、中央と金沢で活躍したエイシンクリバーン、今年25歳になったアシヤビートなどがいる。
「アシヤビートは若いころ、甲冑競馬で毎年のように1着になっていたんですよ。馬もやっぱり野馬追ってわかるんでしょうね。自分が野馬追に出られることを、馬も誇りに感じているのではないかと思うこともあります」
田代さんはそう言い、つづけた。
「野馬追って、馬に一番向いていないお祭りだと思うんです。大きな音は出るし、旗があって物見したくなるし、だからといってブリンカーもシャドウロールもつけられない。そんな状態で、たくさんの人々の前に出て歩いたり走ったりするわけですから、苦手なものが一杯なんですよね」
だからこそ、人と馬との信頼関係が大切になってくるのだろう。(つづく)
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。
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