競馬の鑑賞眼をどう養うか

2012年05月24日(木) 12:00

 ことばの栄養失調が心配だ。自分のことばも耕やさないことには豊かにはならない。メール社会は、目的を達成する便利さを追求すればそれなりに評価できるが、それだけでいいだろうか。会って話すことの大切さはおろそかにできない筈だ。気持や心も伝えるには、会って話すのが一番で、そこには養分がいっぱいにつまっている。また、その表情とか話し方、語調などから汲み取るものも沢山ある。どうメールの役割を定めるか、感覚が鈍くならないうちに考えておきたい。

 人に会うことは、ことばと出会うこと。いろいろなことばとの出会いこそ、自分のことばへの栄養補給となり、この心を豊かにしてくれる。

 競馬だって同じことが言える。馬を見ること、生の競馬を見続けることに優るものはない。競馬の栄養失調にならないためにやるべきことが確かにある。見て、感じて、競馬の栄養を吸収していかないことには、語るものが少なくなっていく。観戦するを鑑賞するに通じると見做してみたい。

 鑑賞眼をどう養うか。それは、どういう眼差しで対象物を捉えるか、その心構えだと思う。頭で考えたり知識を下敷きにして見るのではなく、見たままの瞬間、その直観こそ大切にすべきと、日本民芸美術館を設立した柳宗悦は述べている。

 目の前の馬の姿を、先入観を持たずにただひたすら鑑賞する。少しでも魅力を感じたら一歩突き進んで、匿れた部分に思いをめぐらす。その瞳でなにを考えているか、語りかけてみるのもいい。その馬がどんな人間の思いを背負って生まれてきたか、どんな期待を担って競走馬として走っているのか、そこに心が向っていくことで、自分なりの馬に寄せる思いがふくらんでいく。

 こうして鑑賞眼を養い、競馬の栄養を十分につけて語れるものを増やせば、競馬は上等な趣味として磐石なのだと確信する。

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長岡一也

ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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