2012年06月21日(木) 12:00
思いつき、これに救われることがある。だが、どう神経を研ぎ澄まして立ち向かうか、そうでもしていないことには、この思いつきは到底浮んでこない。目の前の出馬表をにらんでいて、ひょいと目に飛び込んでくる人馬がたまにはあるが、とてもいつもとは限らない。
なんとかして、道によって賢しの境地に到達できないものか。
銭形平次捕物控と言えば、数々のトリックが次から次へと書かれていて、万人の心を虜にしてきた。作者野村胡堂にある時、将棋の木村名人が、四百篇近く書かれたそうだが、どういう風にしてトリックを次から次へ思いつかれたのかと言ったことがあった。これに対して、胡堂は詰将棋の手を考えつくのと同じようなものですと答えたと伝えられている。詰将棋、ナルホドである。
自分なりの考え方、セオリーがきちんとあって、そこから次なる一手をひねり出す、そうでなければとても無理だ。
野村胡堂にしろ木村名人にしろ、それぞれ自分なりの道すじを作ってきたという実績があるからこそ、思いつきも自在であったので、正に、道によって賢しの典型ではないかと思う。
たまには、当てずっぽうが功を奏すこともあるが、これは気分に左右されるのでよくない。たかが競馬という思いも、道を妨げる。
されど競馬というこだわりを持ち、自分なりのセオリーを築き、それが直ちに正解とはならずとも、その考え方をひとつしっかり押えておく。その緻密さが、道によって賢しの境地に近づけていくような気がする。
その為には、成功例を積み重ねていくのが一番ではないか。成功例、つまり、適中したときの思いつきを、大切に記憶しておくこと。その思いつきのレパートリーが、この夏だけでどれ位になるか、これから始めるのがいいような気がしている。どれだけ考えつくか精を出してみよう。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。