2012年07月21日(土) 12:00 6
今、イスタンブールのホテルでこの原稿を書いている。3日間に及んだアジア競馬会議が終わり、ボスポラス海峡に面したチェラーン宮殿で行われた閉会セレモニー&ディナーを、本稿の〆切があるからと途中で抜け出してきた。
シャワーを浴びてパソコンの電源を入れたときには、日付が変わろうとしていた。
ベリーダンスの店で見た、
トップクラスのダンサー
トルコ入りした翌日、7月16日(月)は会議の参加受付をして通行証や日程の詳細が載っているハンドブックなどを受けとり、夜、会議に参加する日本人関係者とベリーダンスが見られる店で会食。私はてっきりリンボーダンスが見られるものと勘違いしており、最初のうち、女性ダンサーが体をそらせてくぐる棒がどこにあるのか、ずっと探していた。
旧市街地のツアー。
スキンヘッドの男性がガイド
その日、携帯に、札幌の市外局番011の0をとった11を含む番号から着信が残っていたのでなんだろうと思っていたら、潰瘍性大腸炎と前頭葉性運動失調のため入院中の母が慢性硬膜下血腫を発症し、脳神経外科のある病院に移って手術をすることになったという。CTスキャンの結果、脳の4分の1ほどの大きさまで血腫がひろがっていたらしい。
コンベンションセンターのテラスで、
関係者のご夫人がたと
会議はこうした雰囲気で行われた
翌日、7月18日(水)の会議初日、午前9時半から始まったセッション1では、「デジタル時代の顧客と競馬」というテーマで、数名のパネラーが、若い世代を競馬に惹きつける方策などについて意見を述べた。NBA(National Basketball Association)のメディア部門バイスプレジデントのダン・マークハム氏いわく、NBAには3つの柱があり、ひとつ目はシンプルであること、ふたつ目はクリエイティブであること、みっつ目は正真正銘であることだという……といった内容が、実はあまり頭に入っておらず、メモを読み返しても思い出すのに苦労した。
今振り返ると、やはり、母のことが気になっていたからだろう。昼食タイムに日本に電話し、母が日本時間の翌日午後3時から手術を受けること、手術は1時間程度で終わること、ここ2か月ほどで見られるようになった母のせん妄が相変わらずひどいことなどを知った。
なお、トルコと日本の時差は6時間。日本のほうが6時間進んでいる。ついでに気候はと言うと、イスタンブールは海に近いせいで蒸し暑く、昼間は東京以上に暑くなるが、夜は肌寒く感じる日もある。
さて、JRAの佐藤浩二総括官が議長をつとめた午後2時からのセッション2も興味深かったのだが、その紹介はブックのリポートに譲るとして、セッション終了後、会議参加者はバスに乗り込み、ヴェリエフェンディ競馬場に向かった。
第4レースに出走していた
ディヴァインライト産駒のキング(牡3歳)
まあでも、母国で走りを見ていた馬の産駒に、遠く離れたトルコで会える――という、競馬ならではのロマンを堪能できたわけだし、行ってよかった。
会議2日目、19日の午前中のセッションのコーヒーブレイクのとき、母の手術が無事終了したと連絡が入った。あと1週間処置が遅れていたら命にかかわっていたかもしれなかったという。予備で持ってきたシャープペンシルを下に落としたらバラバラになった。代わりに天国に行ってくれたのか。
ボスポラス海峡
クルージングの船上から
そして最終日、20日のスケジュールをどうにかこなし、21日は朝から生産牧場見学ツアーがある。本稿を送ったあと、4時間ぐらいは寝られそうだ。22日の夕刻にイスタンブールを発ち、23日に帰国する。
27日から3泊で相馬野馬追取材に行く。
忙しい、という字は「心を亡くす」と書く。こういう日々を過ごしていると、何か肝心なことを忘れているような気がして、だんだん怖くなってくる。何もすることがなくなり、食えない恐怖と苦しみを味わうよりはずっといい、と自分に言い聞かせて乗り切ろう。
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。
関連サイト:島田明宏Web事務所