2012年08月04日(土) 12:00 12
今年も、福島県相馬市と南相馬市を舞台とする世界最大級の馬の祭り「相馬野馬追」に行ってきた。
東日本大震災に見舞われた去年は、甲冑競馬や神旗争奪戦などを行わない縮小開催だったが、今年は早くから例年どおりに開催すると発表されていただけあって注目度が高く、取材のための宿を確保するのも大変だった。
何事もギリギリまでやらない私が珍しく1か月以上前から相馬、南相馬のホテルや旅館を探しはじめたのだが、ネットで予約できるぶんはすべて満室。そこで、一帯の宿をリストアップし電話しまくったのだが、相馬駅近くの宿10軒弱、南相馬の宿10数軒、さらに津波にさらわれた旅館が営業を少しずつ再開している松川浦(今年の初夏、タコ、ツブ貝などの水揚げが再開されてニュースになった漁港のあるところ)の宿10軒ほどに問い合わせてもことごとく満室で、どうにか29日、日曜日の1泊ぶんだけ南相馬のホテルを確保できた。27日、金曜日と28日、土曜日の宿は福島駅近辺か仙台にとって、クルマで1時間以上かけて通うしかないと思っていたら、宮城県南部の山元トレセンに近い旅館が奇跡的に2泊ぶん空いていた。
どうやら、南相馬の原町火力発電所の復旧工事など復興関連事業の宿泊客が多いところに野馬追が重なり、私がヒーヒー言うハメになったようだ。
相馬中村神社境内の厩舎
トウショウモードの馬房には
BOOWY(ボウイ)メンバーのサインが
マイネルアムンゼンは、昨年総大将の相馬行胤(みちたね)氏を乗せて行列に参加し、それ以前は、私の友人の蒔田保夫さんを乗せて野馬追に出たことがある。昨年「美しすぎる禰宜」の田代麻紗美さんを乗せたトウショウモードは、津波で亡くなった蒔田さんの長男・匠馬君の騎乗練習の相棒でもあった。
スティルインラブの仔
ジューダは神馬として行列に参加
カメラを構えた私がいることによって余計に興奮させたら困るので、無事を祈りつつそっとフェードアウトした。
総大将の立谷秀清相馬市長ら
多くの騎馬武者が市内を練り歩いた
雲雀ヶ原祭場地に入ろうとする
堀川史恵さん
心配していたジューダは……いた! 驚いたことに、大勢の観客のなかでも動じることなく、じっと前を見据え、落ちついた足どりで行列にとけ込んでいる。初めてとは思えない風格を感じさせるのは、やはり良血のなせるわざだろうか。
先述したように、去年は旧相馬藩の33代目当主・相馬和胤氏(スーパークリークの生産者)の名代として長男の行胤氏が総大将をつとめたが、今年は立谷秀清相馬市長が、自身3度目となるこの大役にあたった。
午後、南相馬市の雲雀ヶ原祭場地に続々と集まる騎馬武者行列のなかに、去年、相馬太田神社で行われた例大祭で会った堀川史恵(ひさえ)さんの姿があった。去年このあたりは緊急時避難準備区域に指定されていたため、騎馬武者たちは馬に乗らず、礼拝や直会だけで終わってしまったのだが、今年は「聖地」と言うべき雲雀ヶ原に、こうして馬上の人として参ずることができた。
「この日が待ち遠しかったです。嬉しいです」と今年大学生になった彼女は笑顔を見せた。
去年はひっそりしていた雲雀ヶ原に2年ぶりに大勢の人馬が集結した。
騎馬武者として行列に
参加した桜井勝延南相馬市長
雲雀ヶ原祭場地には
約4万2000人の大観衆が詰めかけた
旗指物が風を切る音を聞くと
全身がサーッとあわだつ
7月29日、日曜日。約400騎の騎馬武者(例年は約500騎)が列をなして雲雀ヶ原祭場地を目指した。
沿道では約4万5000人が行列を見守り、雲雀ヶ原祭場地には約4万2000人が詰めかけた。この日、札幌競馬場の入場者数は1万4582人、新潟競馬場は1万1743人、小倉競馬場は9873人だった。計3万6198人。競馬を見に行った人より、野馬追を見に行った人のほうが多かったのだ。
相馬野馬追の「呼び物」と言われる甲冑競馬と神旗争奪戦が2年ぶりに行われた。私が野馬追を見たのは去年が初めてだから、これらの「呼び物」を見るのは今回が初めてだった。かつてここを観戦と撮影のため訪れた小桧山悟調教師に「甲冑競馬と神旗争奪戦を見なければ、野馬追を見たことにはならないよ」と言われてムムっと思っていたのだが、甲冑競馬が始まってすぐ、師の言ったことは本当だと思った。
鞍上の人間と馬具を合わせて100kgを超える斤量を背負いながら、甲冑競馬で走る馬たちのスピードは、まちがいなく「調教」のレベルより「競馬」に近い。騎馬武者が背にした旗指物が「バババババーーッ!」と大きな風切り音を立て、凄まじい勢いで次々と眼前を横切っていくのだからたまらない。「旗指物が風を切る音や、旗の角度で酒が飲める」というのも(下戸の私でも)頷ける。この日は8レースに45騎が出場した。
神旗争奪戦。青い旗は中村神社
赤い旗は太田神社、黄色い旗は
小高神社の神旗
神旗を手に羊腸の坂を
駆け上がっていく騎馬武者。
傾斜はトレセンの坂路よりきつい
去年は「来年こそ相馬野馬追を」と記された横断幕が掲げられ、雑草が伸び放題だったここに4万を超える人々が集まり、威勢のいい掛け声や声援が飛び交い、馬のいななきと蹄音が響いた--。そのざわめきのなかに身を置いていると、まだまだ長い道のりではあるが、福島が復興にむけて確かな一歩を踏みしめていることが感じられた。
7月30日、月曜日は、小高神社で野馬懸(のまかけ)が行われた。
騎馬武者が裸馬を小高神社境内に追い込み、御小人(おこびと)と呼ばれる白装束の若者たちが素手で馬をとらえ、神馬として奉納する――この野馬懸こそ、昔の名残をとどめている唯一の神事と言われ、相馬野馬追が国の重要無形民俗文化財に指定される重要な要因となったのである。
成人式からほどなくして津波で
亡くなった長男・匠馬君の写真
を手にする蒔田保夫さん
野馬懸で小高神社の坂を
駆け上がるカフェボストニアン
例年、野馬懸では5頭が追われるのだが、今年は3頭だけだった。その3頭目、境内の坂道を駆け上る脚がとてつもなく速いと思っていたら、かつてスプリント戦線で活躍したカフェボストニアンだった。
こんなふうに、元競走馬との意外な「再会」があり、第2、第3の馬生で頑張っている姿が見られるのも野馬追ならではだ。
今春、東京電力福島第一原子力発電所から20kg圏内のここも、寝泊まりはできないが、自由に出入りできるようになった。カフェボストニアンの写真からわかるように、野馬懸を見るため多くの観客と報道陣が訪れ、世界最大級の馬の祭りの熱気に触れた。
完全に例年どおりとは行かなかったが、ほぼ例年に近い規模で開催された相馬野馬追。千年以上の伝統と誇りが未来へとつながれた。
個人的には、自宅が原発から20?圏内にあるため今も借り上げ住宅で暮らしている蒔田さんが、来年、3年ぶりに騎馬武者として行列や神旗争奪戦、野馬懸などに参加するところを見られたらどんなに嬉しいだろう、と思う。
島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆~走れ奇跡の子馬~』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。
関連サイト:島田明宏Web事務所