2012年08月16日(木) 12:00
怒らず、恐れず、悲しまず、人生を意義あるもの価値あるものとして過ごすには、この3つがまず基本となると書いてあるものがあった。スタンドの人込みの中にいて、ふとこの言葉が頭に浮かんだ。いつも、いい習慣をつけるよう心がけ、それには、正直、親切、愉快を実行するのが一番と念じてきた結果が、今ここにこうしてあるのだが、本当にこれでよかったのか。近頃、さまざまな人のさまざまな言葉のフレーズが目の前に現れてならない。競馬なら、なんと言っても寺山修司だ。
その『競馬への望郷』の冒頭に「さらばハイセイコー」という詩が出てくる。どのフレーズも「ふりむくと〜」で始まり、次から次へと人生の情景が描かれ、ひとコマのひとコマにハイセイコーが登場するのだ。どれだけ多くの人間が、それぞれの人生にハイセイコーを友としていたかが分かる。
その詩の後半、「ふりむくな、ふりむくな」と呼びかけてくるのだ。そして、「うしろには夢がない」と続けている。ハイセイコーがいなくなっても、すべてのレースが終わるわけではなく、人生という名の競馬場には、次のレースを待ちかまえている100万頭の名もないハイセイコーの群れがあると述べているのだ。
「ふりむくな」は、時折やってくる迷いを断つにはうってつけの言葉になっているのだ。関屋記念をレコードタイムで勝ったドナウブルーは、長い直線、2回差されて2回とも差し返すという勝負根性を見せたが、この春二冠を達成した全妹のジェンティルドンナの偉業を後ろに、「ふりむくな、ふりむくな」と自分に言い聞かせでいるように目に映った。
秋・三冠をかける全妹に対し、全姉のほうは重賞2勝を足がかりに次のステップに大きく踏み出していく。正に「ふりむくな、ふりむくな、後ろには夢がない」なのだ。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。