本を手にし、競馬をしよう

2012年09月08日(土) 12:00

 20代の初め、当時ちょくちょく寄稿していた男性総合誌「ホットドッグ・プレス」の編集者に、「島田君はどのくらい本を読むの?」と訊かれた。

「まあ、同世代の平均ぐらいだと思います」と答えると、彼は笑ってこう言った。

「ということは、ほとんど読まないということか」
正解だったので、彼と一緒にヘラヘラ笑って話を変えた。

 そんな私も、30代になると「ブックアサヒコム」という読書サイト(当時はAmazonのように本の販売もしていた)で仕事をするようになり、「作家に聞こう」というインタビューコーナーを担当したり、「本のソムリエ」というクイズをつくったりするようになった。

 同世代の平均よりは本を読むようになってそういう仕事を依頼されるようになったわけだが、「活字離れ世代」の典型だった私が本を読むようになったきっかけは、先週の本稿でも触れた寺山修司の存在だった。

 私が寺山作品にのめり込むようになったときにはもう寺山は亡くなっていた(1983年没、享年47)のだが、80年代終わりに私が競馬を始めたとき、
 ――寺山作品を読まずして競馬を語るべからず。
 といった空気が、少なくとも私の周囲にはあった。

 そのころはまだ競馬に関する文章を書いていなかったのだが、自分がある馬を好きになった背景を知人に語るにしても「寺山文学の裏打ち」が必要だと、私は思い込んでいた。今振り返ると、それは私の勝手で窮屈な思い込みだったのだが、ともあれ「読まなければならないもの」として、読書体験に乏しかった若者が寺山文学に出会ったのは幸運だった。

 今、私の仕事場の書棚にある寺山の著作のうち『競馬への望郷』(角川文庫)の奥付を見ると、79年9月の初版だ。『馬敗れて草原あり』は81年2月の4版。これらの年代からして、これは私に競馬を教えてくれた放送作家のウメさんこと梅沢浩一さんに借りたまま返していないものだろう(ウメさん、すみません)。

 先日、寺山修司記念館に行くとき道中で再読しようと持っていた『書を捨てよ、町へ出よう』は91年6月の23版。91年6月というと、オグリキャップが武豊騎手を背に引退レースを劇的な勝利で飾った「奇跡のラストラン」の半年後で、武騎手がアメリカでエルセニョールに乗ってセネカハンデキャップを勝ち、日本人騎手による海外重賞初制覇を達成するふた月前だ。64年11月生まれの私は26歳。

 そんなに遅くなってから代表作のひとつである『書を捨てよ、町へ出よう』を読んだということはあり得ないので、これはきっとウメさんに借りて読み、自分の手元にも置いておきたくなってあとから買ったものだと思う。

 寺山修司記念館の佐々木英明館長にも言ったのだが、この本は、書名が『書を捨てよ、競馬をしよう』だったとしても不自然ではないくらい、競馬に関する記述が多い。

 ――この人、頭がいいな。
 と思った人生の先輩たちがほぼ例外なく読んでいたベストセラー(と表現すると軽く感じられるが)を読み進めると、私が始めたばかりの競馬について、特に個性的な競走馬に関するエピソードが多くつづられていた。これが読書体験の1万1冊目とか1万2冊目ならともかく、せいぜい51冊目とか52冊目ぐらいだっただろうから、その強烈さたるや、アヒルが初めて見たものを親だと思うのとそう変わらなかった。寺山文学の魅力にとりつかれたのと同時に、「こんなに面白い本にたくさん書かれている競馬」を好きになったことが誇らしく感じられた。

 ――よーし、寺山エキスをこれだけ脳に注入したことだし、そろそろ競馬を語ってもいいだろう。
 と思ったちょうどそのころ、特に私のように文筆の仕事をしている者は『敗れざる者たち』(沢木耕太郎)を読まなきゃならないし、ディック・フランシスの競馬ミステリーのうち『興奮』『本命』『血統』ぐらいは読んでおかないと、語るだけならまだしも、書くなんてとんでもない――と、誰に言われたわけでもないのだが、そう思って読みはじめた。

 その後、武騎手に、
 ――尊敬する人は?
 と訊いたとき、彼が名を挙げた伊集院静氏の著作を「敵情視察」ぐらいのつもりで読んでみたらファンになってしまい、その伊集院氏がエッセイで薦めていた『野を駈ける光』(虫明亜呂無)でまたひとつ勉強したりと、少しずつ読書体験がひろがっていった。

 この春、競馬ライター志望という早大生に会ったとき、ここに挙げた本と『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』を読んでからいろいろ書いてみるといい、と伝えた。

 自分の本を薦めるずうずうしさには我ながら呆れるが、「読んでから書く」というのは、「インプットしてからアウトプットする」という私たち著述家の基本にそくしたやり方なので、間違ったことは言っていないはずだと思う。

 今週、春の落馬負傷で休んでいた後藤浩輝騎手が実戦に復帰する。それを描写するにしても、同じ能力の書き手なら、前記の作品群を読んだ人のほうが、知識があるぶん説教臭くなったり押しつけがましくなったりする危険はあるものの、より奥行きを感じさせるものを書くことができるはずだ。

 後藤騎手本人に話を聞けるかどうか以前に、彼の心中を自分なりに察し、見つめる視点の置かれ方が、より優しくなると思う。人間と違って口の利けない馬が主役のスポーツなのだから、思いをはせる力が書き手に求められる。逆に言うと、書き手があれこれ自分の想像をめぐらせることができ、それを毎週、何年繰り返しても正解が出ず、人間の力ではどうにもならない大きなものをいつまでも感じられるのが競馬の魅力なのだと思う。

 さあ、秋競馬が始まる。本を手にし、競馬をしよう。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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