2012年10月06日(土) 12:00
今週の火曜日、10月2日は都内の自宅兼事務所でグリーンチャンネル特番「日本競馬の夜明け」の私の語り部分の撮影があり、水曜日はホテルで対談の司会、木曜日は美浦トレセン取材のあとまた都内で撮影、そして金曜日は前述した特番の編集に立ち会い……と、私にしては忙しくしている。
そうこうしているうちに、オルフェーヴルが出る凱旋門賞が迫ってきた。
私が番組ナビゲーターをつとめる「日本競馬の夜明け」は全13回。第1回と第2回は「消えた天才騎手」の前・後編ということで、最年少ダービージョッキー・前田長吉とクリフジの足跡を振り返る内容になっている。
長吉のクリフジがダービーを勝ったのは1943年だから、今から69年前のことだ。
オルフェが日本競馬界の悲願である凱旋門賞制覇をやってのけたとして、70年後、私のような物書きなり、映像制作者が、このときなされたことの事実関係のほか、その意味やのちの競馬界に与えた影響などを検証する作品をつくることになるのだろうか。
70年後、私は確実に死んでいるので確かめようがないが、もしつくられたなら、誰かに天国なり地獄なりに持ってきてもらいたいと思う。
話がわけのわからない方向に進みそうなので、テーマを変えたい。
きょうインタビューした調教師は私と1歳しか違わない人で、まあ、言ってみれば同世代である。取材対象の人となりを紹介する記事の場合、どんなことを質問するかのひな型はある程度決まっている。必ずする質問のひとつに、 ――子供のころは、将来何になりたいと思っていましたか? というものがある。 ウーンという感じで、すぐに相手から答えが出てこないときは、私のそれを伝える。
「ぼくは幼稚園の卒園文集に、将来の夢として『新幹線ひかり号の運転手』と書いていました。自分が生まれた年に新幹線の運行が始まったので、ニュースなんかでひかり号を見ていたんでしょうね」
といった感じで話すと、年齢の近い人は懐かしそうにうなずいてくれる。
ちなみに、きょうインタビューしたK調教師は「釣り堀の経営者」になりたいと思っていたという。
岡部幸雄氏、柴田政人師、福永洋一氏らと馬事公苑騎手課程で同期の「花の15期生」だった伊藤正徳師の夢は「F1ドライバー」だった。
私は、あるときから夢をなくし、「毎日同じところに通うのは嫌だ」「いつも顔を合わせる上司や同僚を選べないのは嫌だ」「生涯年収を計算できる仕事なんてつまらない」といったように、嫌なものから逃げるという、まったく感心できない方向に進んできた結果、こうして物書きになった。よく、 ――島田さんは、文章を書くのが好きだからこの仕事に就いて……。 と決め込まれることがあるのだが、小さいころからひどい筆不精で、今も文章を書くのは好きではない。書いていて楽しいと思ったのは数えるほどで、これほど苦しい作業はないと思いながら、毎日せこせこと書きつづけている。
これ以外にできることがないので物書きをしている、というのが実情なのだが、驚いたことに、私と同じように嫌なものから逃げつづけてきた結果、調教師になったという人にも会ったことがある。その人はかなり成績がいいのだから、適性とか、天職とかって何なんだろう、と考えてしまう。
クドいようだが、「あれヤダ、これヤダ」とブーたれて行き着く先に「競馬の調教師」というゴールというか、通行手形というか、おさまり先があるなんて、ウーンという感じである。物書きやニート、プー太郎、引きこもりならわかるのだが、いやまったく面白い。
逃げつづけるのも悪くない、ということか。
日本では、スピードがあってレース序盤から先頭に立つことも「逃げる」と言う。ということは、私たちは、意識的にも無意識的にも「逃げる」という、一見否定的な表現のなかに「リードする」という、思いっきり肯定的な意味もふくませて使っているのかもしれない。
ここまで書いて思ったのだが、締め切りから逃げたくなっても、この仕事に就いてしまうと逃げ場がなくなる。行先がないということは「逃げ切った」ということなのか?
でも、まったく勝った気がしないのはなぜだろう。
まだまだ逃げ足りない、ということか。
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島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。 関連サイト:島田明宏Web事務所