オルフェーヴル、凱旋門賞惜敗の「タラレバ」

2012年10月10日(水) 12:00

 欧州競馬の総本山である芝2400m路線の、シーズン掉尾(とうび)を飾る総決算、凱旋門賞に参戦したオルフェーヴル(牡4)は、残念ながら1番人気に応えることが出来ず、2着に終わった。

 日本調教馬による凱旋門賞2着は、1999年のエルコンドルパサー、2010年のナカヤマフェスタに続いて3度目。しかもその3度の着差は、半馬身、頭差、そして首差である。世界の最高峰に手が届きそうな日本馬に対し、わずかのところですり抜けるように逃げてしまう凱旋門賞とは、なんと勝つのに難しいレースであろうか。

 しかも今年のオルフェーヴルは、18頭立ての18番枠という、凱旋門賞の過去の傾向に照らし合わせれば圧倒的に不利な枠順を克服し、なおかつ「Collant」という日本の「不良馬場」に相当する深くて重い馬場をこなした結果の2着だったのだ。勝負事に「タラ」「レバ」は禁物であることを百も承知で書かせていただければ、もう少し内枠を引いていたら、馬場がもう少し乾いていたら、おそらくオルフェーヴルは楽勝していたであろう。

 いや、ゴール前残り100mの段階では、まさにオルフェーヴルの楽勝パターンだったのだ。

 パドックに現れた時のオルフェーヴルは、前哨戦のフォワ賞時より遥かに落ち着いていた。フォワ賞の時は、帯同馬アヴェンティーノ(牡8)の献身的な介添えがなければ簡単に暴発しそうな雰囲気を醸し出していたオルフェーヴルだったが、この日は、仮にアヴェンティーノがいなかったとしても、パドックから本馬場入場、そして返し馬と、難なくこなしていけるだけの落ち着きを見せていた。

 それでいて馬体は、前走時と比べてヴォリューム感があり、まさに心身両面において究極の仕上げであった。池江泰寿調教師をはじめ、遠征に携わったチームは、本当に素晴らしい仕事をされたと思う。

 あとは、鞍上を任されたフランスの名手クリストフ・スミヨンが、どのように乗るか、注目して見ていたら、大外枠から出たオルフェーヴルをじわじわと内に入れつつも、好位をとりに行くことはせず、前半の位置取りは後ろから2〜3頭目となった。発馬後しばらくは行きたがる仕草を見せたオルフェーヴルだったが、抑えるスミヨンに対して前走のフォワ賞の時ほどは反抗をせず、馬も納得した上での後方待機策となった。

 その位置取りのまま、直線入り口へ。ここで大外に持ち出したオルフェーヴルは、この段階ではまだほとんど馬なりのまま、先頭集団を捉えるところまでポジションを上げた。そして、スミヨン騎手が軽くゴーサインを出すと、まさに桁違いの脚で抜け出し、先頭に立ったのだ。

 例えて言えばそれは、1986年の凱旋門賞馬で、その時に与えられた141というオフィシャルレーテイングが今もって歴代最高値として記録されている、ダンシングブレーヴを彷彿とさせるレース振りであった。そのまま突き抜けていれば、近年の凱旋門賞では最高のパフォーマンスとして、記録と記憶の双方に残ることになったはずだ。

 ところが、いったんは3馬身ほど抜けたオルフェーヴルが、ゴールが近づくにつれて内側に斜行。ついに内埒沿いに進路をとることになった段階で、急激に失速した。

 そこに襲い掛かったのは、2番人気に推された英国2冠馬キャメロット(牡3)でもなく、3番人気に推された仏ダービー馬サオノワ(牡3)でもなかった。道中内埒沿いの好位で競馬をし、残り100mを切ってから矢のような末脚を繰り出したのは、オッズ42倍の12番人気という伏兵ソレミア(牝4)だった。

 ヴェルトハイマー兄弟によるオーナーブリーディングホースのソレミア。この馬主さんの所有馬には、昨年の凱旋門賞でも人気になったG1ホースのガリコーヴァ(牝4)がいるのだが、そのガリコーヴァの近走が期待外れで、凱旋門賞挑戦を諦めたガリコーヴァの、いわば代理として出走してきたのが、ソレミアだった。

 今年5月にサンクルーのG2コリーダ賞を制したのが重賞初制覇で、かつ、これがここまで唯一の重賞制覇であったから、実績では明らかに劣る馬である。だが、そのコリーダ賞優勝時の馬場が「重馬場」で、その前走G3エドヴィル賞で2着になった時の馬場が「不良馬場」だったという、名うての道悪巧者がソレミアだったのだ。

 ここでもう一度、未練たらしく「タラ」「レバ」を言わせていただければ、良馬場だったらまず、勝負にはならなかったはずの馬で、そういう意味では、馬の能力よりは馬場状態が勝敗の行方を分けた競馬であった。

 勝たなければならないのが勝負事で、オルフェーヴルが敗者であることは紛れもない事実である。だが、各国の競馬メディアが翌日、オルフェーヴルを「近年でも最も不運な敗者」と称し、「最も強い競馬をしたのはオルフェーヴル」と評していたことは、ここにぜひ書き記しておきたいと思う。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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