2012年10月18日(木) 12:00
ひたすら念ずる力を、最後の最後の7センチの差に感じた。ジェンティルドンナの三冠達成にかけた思い。それは勢いとなり、それに乗って最後の力は発揮された。そうは考えられないだろうか。「善く戦う者はこれを勢いにもとめて」と孫子は言っている。絶対に負けない理論を追求した中国古典は、いつ読んでも面白い。これを目の前の勝負に応用することで、再確認できれば、理解は深まる。
相手ヴィルシーナの兵法も、凄まじいものがあった。どう戦ったら相手の動揺を誘うだろうか。「彼を知り己を知れば」こそのあの戦法、こちらも一方の立役者であったことは間違いない。結果、「百戦してあやうからず」にはならなかったが、あれで十分満たされていた。では、どこに差があったのか。
それは最初から見えていた。勝算の多いほうが勝ち、少ないほうが敗れるという「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」と。大一番で2度までも遅れをとってしまったもだから、最後の大一番だからといって、それを覆すのは困難だったと言いたい。競馬のことだから、10割の勝算はありえない。それでも、この事実は両馬の前に立ちはだかっていた。
何よりも、鞍上の胸のうちに大きな差があったろう。2度までもタイトルを手中にした勝者は、「彼を知り己を知っている」点で、ライバルをリードしていた。あの差は、これであったろう。
主導権を握ったのは、レースでは敗者のほうであったのは確かだったが、追う者と追われる者の差が、そこにはあった。どう主導権を取ろうとも、心の内には追われる思いがはなれない。最強の力となる「勢い」が違ったのだ。それに加えて、勝たねばならないと「ひたすら念ずる」力もあった。勝負では、多方面での主導権をどう握るかだ。同世代に敵なしを勝ち得た三冠馬の勢いは、今後どちらの方角を目指すのか。その新たなスタートに楽しみは移っていく。
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長岡一也
ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。